吉富の仲宗根鉄工所から羽山君を大阪に転勤させ、最初の事務所として吹田のプレハブ住宅の一室を借りました。一九八四(昭和五十九)年十一月のことです。大阪でのサービスショップ(SS店)一号店として出発することになりました。

大阪も東京に次ぐ大きな市場です。すぐに人手が足りなくなり、募集することになりましたが、松崎君には友達が多く、職安に行かなくても彼が三、四人の青年を集めてきました。気心の知れた友達です。九州から転勤した羽山君は夫婦で来てくれました。

プレハブ住宅の二間で生活し、昼間はその一室を事務所として使用し、トレニア机を並べて奥さんも事務処理を手伝ってくれました。羽山君の奥さんは面倒見がよく、若い子のお母さんのような存在でした。

大阪の次は岡山です。TOTO岡山営業所の支店長から関山部長に「岡山でもSS店を作ってほしい」と依頼があったそうです。早速、私に連絡がありました。

「行動は敏速に」が私のモットーです。すぐに岡山に行き、TOTO岡山支店を訪ねました。

支店長は松平さんという頭の切れる方で、話をしていても、ひとつ奥が深く、いくら話していても、もっと話したくなる人でした。「早速CE(カスタマーエンジニア)を入れてください。岡山は仲宗根さんに任せます」とありがたいお言葉をいただきました。