望郷
「我々はなぜ生まれ、そして何に生かされているのだろうか」
呉線の車窓を流れる景色をぼんやりと見つめながら、神峰(かみね)良樹はそんなことを考えていた。海沿いの高台にある無人駅に停車すると、小さな明かりを灯しはじめた瀬戸内海の島々が、茜色に染まりながら夕闇に包まれようとしている。ホームにあるほころびはじめた桜の花びらが、眩しい夕日に透かされていた。
二〇一九年三月、神峰は、翌日から呉市で開催される宇宙生命科学国際会議(Astrobiology International Symposium: ABIS)で、隕石分析の成果を報告するため、呉線で三原から呉に向かっていた。通常なら、広島経由で行くところだが、神峰は幼い頃を過ごした竹原の海を久しぶりに見たくなった。昨年の西日本豪雨で甚大な被害を受けた故郷のニュース映像が強く脳裏に残っていたせいでもある。
呉線は、その後五カ月間に及ぶ復旧作業を経て、昨年十二月十五日に全面復旧した。神峰は、一駅一駅確かめるように呉線をたどった。所どころなぎ倒された木がそのままになっていたり、川岸が大きく削られていたり、豪雨の傷跡は残っていたが、幼い日々に見た風景は、いまも同じ優しさを見せており、神峰はそれに安堵を覚えた。
それにしても、この数年、日本では豪雨被害が多い。地球温暖化問題が叫ばれて久しいが、地球気候変動は間違いなく進んでいるように神峰には思えた。
やがて、電車は竹原駅に止まった。竹原は五歳までを過ごした懐かしい故郷である。駅前の様子は随分と変わったが、依然あの頃の趣を留めている。