インドの大富豪宅に泊まる
ターバン姿のいかめしい守衛が立つ門から玄関まで、およそ五〇〇メートルはあろうかという大邸宅に招かれました。
広大な屋敷は、一面素晴らしい芝生に覆われ、南国特有の鮮やかな花々が咲き乱れています。庭の車庫の一角には、ロールス・ロイスをはじめ、クラシック・カーが数台、無造作に埃をかぶったまま放置されています。
絵に描いたような大富豪の屋敷です。
庭師が数人、流れる汗を拭こうともせず、せっせと植木の手入れに余念がありません。聞くところによると、この家庭には常時数人の召使いと庭師が働いているということでした。彼らの手当は月給三〇〇ルピーで、日本円でおよそ五一〇〇円でした。
ちなみに、一日汗を流し路上を駆け回るリクシャーワーラ(人力タクシー)は十数ルピー(二〇〇円弱)だそうで、それで一家を養っているようでした。月収が四〇〇~五〇〇ルピーで定職があれば、まあまあの生活は営めるし、一六〇〇ルピー(一万三〇〇〇円)の月収なら、もう高級取りに入るそうです。
インドの社会は、我々の想像以上に全体として貧富の差が歴然としており、何世紀も続いたカーストも制度の上ではすでに消失したとはいえ、地方においては、その名残がまだ至る所で見られるということです。
広大な敷地の奥に建てられた白亜の素晴らしい邸宅にホームステイをさせていただき、早朝六時にサイレンの音で目覚めました。
そのサイレンは、ここの主人が経営する隣接の工場の始業の合図だと教えてくれました。素晴らしい邸宅とはいえ、クーラーの設備がなく、夜は蚊に悩まされました。暑くて仕方ないのですが、東京で亡くなった人のことを思い出しては、これはいかんと寝具を頭からかぶって寝ましたが、ほとんど睡眠不足のまま朝を迎えました。今日も早朝から汗ばむ暑さです。
一九八八(昭和六三)年二月二日、コインバトールのロータリアンであり、形成外科専門医でもある、A・クマールプラサド博士を彼の事務所に訪ねました。
インド訛(なま)りの強い土地の人々の中にあって、博士は英国のケンブリッジ大学出身だけあり、癖のない流暢(りゅうちょう)な英語で私を歓待してくださいました。
訪問の目的は、当地におけるポリオ後遺症患者の実態と、その対策並びにリハビリテーションの現況を調査することにありました。
ポリオ後遺症患者のためのリハビリ施設であるSRI RAMAKRISHNA 病院およびVEDANAYAGAN 病院を案内していただきました。
この地域では、大小四つの病院が障害者のための機能訓練を行っていましたが、前記の二施設が最も積極的に取り組んでいるということでしたので、訪問することにしたのです。
待合室にはターバン姿の男性や、色とりどりのサリーを身にまとった婦人たちが、診察の順番待ちをしています。不安と疲れ切ったその表情は、我が国の救急病院の待合室の風景そのものでありました。
長い廊下の奥に案内されると、そこには機能訓練室がありました。薄暗い部屋に訓練用機材が並べられているものの、その内容は誠にお粗末なものでした。
低周波、超音波などの理学療法機器が数台と、エルゴメータ、平行棒、階段昇降訓練などの運動器具があるのみで、設備内容は量的にも質的にも甚だ乏しいもので、少しかわいそうな気がしました。
不幸にしてポリオの後遺症のある患者たちのための質・量ともに充実したリハビリ施設の建設援助が、急ぎ望まれるところであるとも思いました。また、ハード面のみならず、PT(理学療法士)、OT(作業療法士)やST(言語聴覚士)などのマンパワー不足も深刻のようでした。
病院視察のついでに、形成外科医としての博士の手術を拝見する機会があったのは幸運でした。たまたま交通事故後の頭蓋骨陥没骨折の整復術と、頭皮剥離欠損の形成術ということで、そのアシスタントを請われました。耐用年数をはるかに超えたと思われる、旧式の機材を存分に活用し、流れるような手さばきで進められる見事な手術テクニックには、ただただ敬服するばかりでした。
手術後の満ち足りた表情の中でも、最後にいわれた「Microscope が一基でもあれば……」と嘆いておられた、博士の諦めともつかない言葉が、今でも耳を離れません。