生命の崇高と人体構造の神秘を描き切る傑作。
ほぼ100日、約3カ月におよぶ正統解剖学実習。死者と向き合う日々のなかで、医学生たちの人生も揺れ動いていく。目の前に横たわる遺体(ライヘ)は何を語るのか。過去の、そして未来の死者たちへ捧ぐ、医療小説をお届けします。
第一部
結局、初日は午後からの解剖学実習だったので、そのまま延長という形で一時間程居残って、体表観察はざっと済ませ、皮切りは一部未完成のまま、何カ所かの脂肪をほじくって神経や血管を出したり、走行を確認しただけで引き揚げた。
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乳房も、実習書に従って、乳輪の周りに一周切線を入れて、放射状に切開の目印を幾つかいれただけで止めた。他に4、5班残っていたが、さすがに陽が暮れて部屋の外が暗くなってくると、ライへに布をかぶせ、その上から防腐剤入りの液体をかけて、全員が申し合わせたように引き揚げた。その中に竹田もいた。たいていみんな無口で不愛想だが、会釈してくれる人物がいた。
木本進次郎は、いかにも良家の子息という感じで、クリスチャンだということだ。いつか、神様について議論してみたいものだと思った。僕らの班は遅れているらしいが、まだ先は長いし、この先幾らでも取り戻せるはずだった。家に帰り着くとすぐ眠りについた。夢は何も見なかった。