第2作『人形』

毎日歩き慣れた道なのに、そこに何があるのか気付かないことがよくある。ある日突然、通りの角に空き地が出現する。しかし昨日までそこに何があったのか、思い出すことができない。

そしてまた、気付かずに過ごしてきて意外な発見をすることもよくある。道ばたの小さな花を見つけた、などと気障なことを言うつもりはない。

ぼくが気付かされたのは、小汚い一軒のラーメン屋だ。それは駅前の商店街のちょうど真ん中にあった。新しく明るいアーケードの中では、その店は古く、お世辞にもきれいとは言えないが、特別目立たないという訳ではない。むしろその分、周りからは浮いている。

暖簾をくぐると、見慣れない大将がいる。汚れた壁には煤けたメニューの短冊が並んでいる。色褪せた中国の宮廷美女が額の中で微笑んでいる。何年も使い込まれたどんぶりが重ねられている。

初めて見る店内は、一つひとつが不思議なのだ。まるで未知の世界に踏み込んでしまったような気になる。しかしそんな一軒のラーメン屋も、通い慣れてしまえば日常の中に溶け込み、当たり前の風景となってそこに存在しているのだ。

「福寿軒」の痩せた大将は、三百円の「学生ラーメン」をいつも黙って作り、ぼくたちの前に並べてくれる。寒い日には死ぬほど旨い。作り終わると大将は、面白くもなさそうに、カウンターの端の丸椅子にどっかりと腰掛け、テレビのワイドショーを見ている。

ぼくらも黙ってラーメンをすする。太郎もいちばん端でチュルチュルと一本一本の麵を吸い込んでいる。彼はいつも金魚の糞のようにぼくたちについてくる。