京都
何の変哲もない部屋にぼくはいた。影は跡形もなく消えていた。
窓からは黒ずんだトタン屋根の物置や赤ぐろく煤すすけた焼却炉、タオルを吊るした物干しやシャベルを積んだリヤカー、それに、子どもたちが水遊びをするくらいの大きさの円形プールなどのホテル裏側の雑然とした景色が見下ろされ、それらを囲む雑木林の後方に、牛の背のかたちをした山並みが横たわっていた。予約の電話を入れたとき――。
「眺めのいい部屋がよろしいでしょうか?」係の女性はぼくに尋ねた。
「眺め?」思わず訊き返した。意味が呑み込めなかったから。
「ご希望があるようでしたら街並みを望む部屋を用意させていただきますが、そうでなければ山側の部屋になります」「静かな部屋を」
ぼくは口に出していた。眺めなどはなから頭になかったのだ。だれにも邪魔されず、煩わされず静かに机に向かいたい。ぼくの希望はそれだけだった。ところが――。
いまぼくがいるこの部屋は、ホテルの裏側を向いているが、いや、裏側を向いているからこそか、自分の望みどおりの静かな居空間となっていた。センターテーブルで凜とした気品をまとう白百合。
きちんと手入れが行き届いて光沢を放つ調度類。糊がぱりっと利いて清潔そうなソファのカバーなど、無駄なもの、余分なものが淘汰され、必要なもの、大切なものだけが収まるべきところに収まっていた。心を搔き乱すものはただのひとつも存在せず、街の喧噪も、晩夏の暑さも、ここには届いていないようだった。