こころのかたち

人は誰でも、生まれた時にこころとからだを持って、この世界にやってきます。

まぶたが二重だとか、髪が黒いとか、足が大きいとかと全く同じように、几帳面(きちょうめん)だとか、とにかくおしゃべりだとか、周りをとても気にするといったこころの種を持ってやってきます。それをどう活かしたり咲かせたりするのかはその人次第ですが、実は随分のことが決まって生まれてきているのです。

この「こころの種」からどんな芽が出て、どんな枝が伸び、今どんな姿をしているかを「こころのかたち」と呼んでいます。目には見えないこのかたちを知ることは、とても大切です。「世界のゆくえ」ぐらい大事じゃないかと思います。なぜなら、「自分のゆくえ」を握るからです。

こころがどんなことを喜ぶのか、どんなことに興味を持つのか植物でいえば、日向(ひなた)が好きなのか、日陰が好きなのか。

水やりは? 温度は?

そんなことです。そんなことが大事なんです。

「妻はこうあるべきだ」とか「我が子はこうじゃないと」とか、相手を自分の思い通りに変えようとして際限のない戦いを挑んでいる人がいますが、もし、相手のこころのかたちが見えるとしたら、どう見たってたんぽぽなのに薔薇の装いを期待したり、柳を松に仕立てようとしたりと、あっけにとられる場面がちょくちょくこころの世界では見受けられます。

また、本人も相手の期待に応えたくて、もしくは周りが羨ましくて、自分以外のものになろうとし、できない自分をものすごく責めたりしています。周りも本人も、「こころ」を見ていないのです。