加えて、杉井の太腿の内側もかさぶたになり、鞍に乗った時の痛みが大幅に緩和されて、乗馬が大分快適になった。その結果、乗馬の技術の上達も加速度的に早くなり、訓練一ヶ月で落馬の不安は全く解消した。
こうなると乗馬訓練は楽しくなる。馬場で行う早足、輪乗り、手前の交換(左前足走行と右前足走行を交換させること)等、訓練内容は段々高度になっていったが、すべて無難にこなした。
更に、一週間に一度、馬運動という訓練があり、早春の名古屋市郊外から繁華街までを馬上豊かに走るのであるが、これは爽快そのものだった。大宮上等兵の引率の時は、粋なはからいで、中村遊廓の中まで出かけたが、大きな楼閣の二階から、可愛い遊女たちが手を振っていた。
入営から一ヶ月あまり経つと、寝台が両隣の石山、山口、斜め向かいの大道など仲良しの初年兵もでき、また別の班に静商時代の同級生の下柳がいたので、時々会いに行ったりした。
この結果、入営当初の孤独感はなくなり、気持ちの上では多少のゆとりも出てきた。しかしながら、日々の生活の厳しさは相変わらずで、特に古参兵たちの初年兵に対する指導は、手を緩めるところがなかった。
班長の神尾は温厚で、要所要所で叱る程度であり、また大宮上等兵も四人の担当古参兵の中では極めて淡々としていて、体罰も必要最小限のものしか加えなかったが、野崎、藤村の両上等兵と西田一等兵の指導は苛烈だった。
毛布衣類の畳み方が悪ければ全部目茶苦茶に投げ出される。命じられたことの復唱を忘れれば殴られる。掃除が悪いとバケツと箒を持って一時間不動の姿勢で立たされる。まさに一挙手一投足緊張の連続である。
就寝前に小銃の手入れをし、寝床に入ってやれやれと思うのだが、これが必ずしも一日の終わりとは限らない。