おそらく隣も同じだったのではないかと思います。半年ほどして、申し込んでいた町営住宅に入ることができ、やっと新婚生活らしい日々が始まったという感じでした。

妻は家の模様替えが好きです。仕事から帰ってくると、家具の配置がガラッと変わっています。ある日、夜中にトイレに行こうと思って、暗い部屋からトイレのほうに向かいました。

どんと何かにぶつかり、目から星が飛び散りました。電気をつけると、なんとトイレに行く襖のところにタンスが置いてあるのです。「ごめんごめん」と謝る妻に、頭を押さえながら、痛いやら、腹が立つやら、おかしいやらで、「なんでこんなところにタンスを置くんだ」と怒鳴っていました。

妻の実家は苅田町で清掃業を営んでいました。妻はその手伝いに毎日行くのですが、早朝五時ごろ中津駅から苅田まで行き、午前中に仕事を終えて帰ってきます。

一九七〇(昭和四十五)年ごろ、妻は実家から毎月、私の給料よりも多くもらっていましたが、私のほうはと言うと、自分の事業が不安定なために、わずかな賃金しか持って帰れませんでした。まさに妻に食べさせてもらっているような状態でした。

妻は「押しかけ女房だから仕方がありません。父からは人の二倍働けと言われています」と言っていました。実家の仕事から帰ってくると、今度は私の仕事の手伝いです。

鉄工所に来て溶接や部品の組み立ての手伝いをします。トラックを運転して鋼材の運搬もしてくれる頼もしい女房でした。