「……乳癌ですか?」
「はい、でも早期ですから、今手術すれば助かります」
S先生は断言した。
「セカンドオピニオンって、聞いた事あるんですが……」
「いいですよ。では、紹介状を書きます」
澄世は、まさかの結果を聞き、かなりショックを受けていた。帰り、電車の中で、乳癌なんだ……と何度も自分に確認し、それでも頭がボーッとした。
ふと、今日って、え?六月二十七日……Fさんの祥月命日だ!と気付き、びっくりし、泣きそうになった。Fさんとは、S新聞社の司馬遼太郎の担当として知られた編集記者で、澄世にエッセイを書く事を勧めてくれ、紙面に載せてくれた人だった。
だが、肝臓癌で気付いた時は遅く、あっと言う間に二十一世紀を前にして亡くなったのだった。その時、澄世は大変なショックを受け、命日を忘れずにいた。
S新聞社に近い書店で、よく会い、挨拶をしていたら、ある日、話しかけられた。
「本、好きなんだね」
「はい……」
「書いたりするの?」
「……日記をずっとつけています……」
「じゃぁ、エッセイ書いてみて!」
その後、原稿を持って行くようになった。
「いいね。もっと書いて!」
そう言ってもらい、うれしくて、三百字のエッセイを持って行き、何十篇か、採用され、掲載してもらった。名前は「佳」と言うペンネームにし、内緒にしてもらっていた。社内で孤独だった澄世にとって、Fさんは師でありオアシスのような存在だった。