そしてここが問題なのだが、アメリカ人のアメリカ人たるゆえんで、自分たちのやり方を他国にも押し付けるのだ。

作家・曽野綾子さんが言っていたことなのだが、キリスト教では善行を一人でやってはいけないのだそうだ。良い行いは自分で独占せず、ほかの人にもやらせてあげないといけないのだそうだ。

私はその話を聞いて2001(平成13)年から2008(平成20)年までアメリカから日本に対して送られてきた「日米規制改革及び競争政策イニシアティブに基づく要望書」を思い出した。アメリカの要求の目玉は郵政事業などの民営化であったが、不思議なものもあった。法科大学院の設置や裁判員制度がそうだ。

それが規制改革と競争政策にどんな関係があるのか。それを日本に導入させてアメリカはどのような利益をえるのだろうか。単に自分たちのシステムはいいのだから日本も取り入れなさいと言っているだけではないのか。当時はまったく理解できなかったが、曽野さんの話をきいて、なるほどそうだったのかと思った。

もちろん、あの年次改革要望書はアメリカの国益を考えた通商政策であるが、根底にはキリスト教の精神があるのかもしれないと思ったのだ。「私たちのシステムはいいのだから独り占めしてはいけない。日本にも採用させてあげよう」というキリスト教徒の精神が。

キリスト教と資本主義の関係は別の機会に論ずることとして、補助金の話に戻ろう。

シャウプは自国のやりかたがベストだと考えて原則補助金は廃止だとしたが、シャウプは日本の「地方自治」を理解していなかった。つまり、国と地方の関係を理解していなかった。

理解していれば補助金を全廃できると考えるはずがない。あるいは理解はしていたが、補助金を廃止することにより日本でも真の地方自治に、アメリカ合衆国のような地方自治に一歩近づくことが可能だと考えたのかもしれない。