2013年3月8日。小牧赴任3日前に、出発メールを由里香に送る。冷却期間を敢えて少し置いた(少し機嫌が直っていれば……)。今度は間を置かず、メール返信が来た。
『気を付けて行って来て下さい、あと父さんが末期がんです。』
ほっとした気分と心配が半ばする。
(このタイミングで嫌な距離だな、350キロは)
でもすぐに気を取り直した。昔、青春時代を席捲した『シンデレラ・エクスプレス』が好きだった。CMの映像も、ストーリーも、原作版も。そのCM時に流れる1つのフレーズが、特に私は好きだった。「距離に試されて、2人は強くなる」と。由里香の意思が確かならこの距離は、障害にはならない。その確信が私には有った。
それから1カ月後、4月29日。小田急相模大野駅改札口「高卒認定第1回会場」であるS女子大までの下案内をした。
メールで「世界史A」のQ&Aを何回かやり取りしていた。世界史に関しては、3大文明の理解度含め、勉強は順調であることを確認している。しかし、由里香の自己申告通り「数学」は苦戦している様で、不安感あり。
従兄と伯父さんが住んでいる、馴染み深い相模大野の街を由里香と歩いていることに何とも不思議な感覚が湧く。発展を遂げる政令都市、相模原市の中心駅小田急線相模大野駅からロータリーを渡り、商店街を抜け、通りを渡り徒歩10分程で、試験会場「S女子大学」に着く。
正門から入口を確認。少し方向音痴な由里香なので、乗り換え駅と試験会場までの道順は、丁寧にレクチャーした。試験当日、試験開始時間前に、無事に試験会場に到着することを、祈るのみ。双方に取り、大事な3カ月があっと言う間に過ぎ去っていった。
2013年8月1日と2日に実施された第1回高卒認定。
『受かる気がしません……』
試験の直後に由里香から送られて来た第一報は、自信なさげなものだった。
その3日後の8月5日、さっそく出た高卒認定試験結果を伝える由里香からのメールが来た。
『世界史と生物は無事に合格しました。数学は5点不足、でも少し自信もつきました』
と。
『数学は時間不足だったけど、解答したところは殆ど合っていました。』
その言葉から由里香の安堵感と喜びが、伝わって来た。
私自身最初の試験でいきなり3教科全部突破は考えていなかったが、全滅の場合モチベーションが下がってしまうため、できれば2教科が合格して、1教科だけ残すのが理想と考えていた。残るは当然「数学」。願い通りの展開。
挑戦のハードルを確実にクリアする由里香、大きな喜びの谷間に大きな不安も飛来する。
1カ月半後の9月18日。予期せぬメールが来る。
『父親の余命宣告有りました。半年と……。父に何かあったら母がすごく心配です。私に何が出来るのか分からない……』
根性の座った由里香が、動揺を隠せないで居る。もどかしい日々がしばらく続く。メールで激励する。
『由里香の前向きな挑戦の日々が何よりの抗がん剤だよ。絶対に大丈夫だよ。』
決して慰めるために寄せ集めた言葉では無い。大丈夫との確信が私の心中に満ちていた。
そして11月9日。迎えた高卒認定の第2回試験は、横浜市青葉区で実施された。終了直後16時24分に送られてきたメールを会議中の机の下で見る。
『ダメかも知れないです。』
なぜか落胆は無い。22時半過ぎ2回目のメールが届く。由里香の夜分のメールは珍しい。
『夜分遅くにすみません。模範解答で採点し、100点満点中72点でした。嬉しくて朝まで待てませんでした。おやすみなさい。』
この2カ月はいろいろな辛さを抱えての挑戦であり、それを見事克服。こんなメールを受け取る為に、私のこの挑戦への支援が有ることを、心から実感した。
【4つ目の約束:高卒認定合格】前半戦の大きな山をクリアした。この喜びを忘れないこと。この挑戦の日々と結果は、由里香にとって大きな自信と確信となる筈。
それから1カ月後の12月8日。「合格証書」が由里香の実家へ届く。それは病床の父親の喜びと生きる活力になる。この歴史上大事な節目となった日、由里香の父親も身中に巣食うガンに対し果敢な戦いを宣戦布告した。
一連の出来事を知らせてくれたのは12月15日に由里香の母親、裕子さんから届いた手紙からだった。「出会いと感謝」「日々成長する娘への愛情」「今後の娘の更なる前進への支援の約束」、裕子さんの思いが詰まった文字が心を満たした。そう、まだ由里香と交わした約束が3つ残っているから。