プロローグ 

2013年11月9日22時34分、メール着信。

『夜分遅くにすみません。模範解答で採点し、100点満点中72点でした。嬉しくて朝まで待てませんでした。おやすみなさい。』

由里香の57文字から喜びが伝わる。由里香との約束「高卒資格認定受験」最後の科目「数学」の試験合格が確定した。出会いから38カ月、約束から35カ月。由里香の喜びを、350キロの距離を、メールは5秒間で繋げてくれた。

6つ目の約束

First

由里香との出会いまでは3年と2カ月遡る。猛暑の8月も終わろうとしていた時だった。勤務先で有るA社Y工場東棟休憩室で新規品の「特別検査員」の面談が実施された。

22歳の華奢な長身色白な娘が、派遣会社の担当者から紹介された。

「近藤由里香です」
傍らの長椅子に腰かけているイマドキ女子である。背筋を伸ばした、凛とした雰囲気と緊張の笑顔。

(苦手なタイプだ)

3カ月間の初期管理期間、品質保証スタッフとして間接的ではあるが私の管轄下、つまり、部下にするという事を自分の中で受け入れるまで2分かかった。彼女から発せられる“ある種の匂い”を、飲み込む為。

品質保証課長5年目、52歳を超えた夏の終わりだった。

近藤由里香の勤怠はすこぶる真面目で、余計な事もしゃべらない娘で、仕事の吸収も人並み以上に早かった。また要点を理解する頭も有り、品質保証課メンバーともすぐに打ち解け、鍛えられ、可愛がられていく。真剣に検査業務、測定業務に向き合ってくれ、メンバーも本気で由里香の指導に真正面から向き合ってくれた。

164センチ余りの長身、47キロのスリムな体、色白で彫りの深い顔立ちの美形だけに、直ぐに噂が立て込む。

「課長、実は由里香の件なんですけどね」
予想したタイミングで、由里香の仕事の師匠から情報提供があった。
「彼女、いろいろ修羅場を経験して来ているんですよね」
「苦労もしたみたいです」

由里香の、特に技術指導を受け持ってくれている部下からもたらされた情報は、少しの驚きは有ったが、私の想像をしていた想定内の内容ではあった。

半透明なラベンダー色をした修羅の匂いの理由が、少しわかった気がした。22歳の娘は、どんな相手にも愛想良く接し、お高くとまることなど無く、皆に可愛がられる大人顔負けの「したたかさ」が有る。

一方で、驚く程の無防備さで、高校時代に経験した若さ故の冒険と挫折を披露していた。その結果として、あらぬ噂を生み、自分を傷付ける。波乱の色濃い青春と、際立つ透明感は周囲にいろいろな波紋を起こす。

課の内外の大人たちそれぞれの好感と、嫌悪感含めたさまざまな念を生じさせながらも、品質保証課スタッフとしての、近藤由里香の3カ月の月日は、彼女と品質保証課メンバーとの間に、しっかりとした絆を生んでいった。