入社して二年目の平成七年一月十七日(火)、阪神・淡路大震災が起こった。澄世の住む奈良県は殆ど被害が無かったが、大阪代表S専務の住む兵庫県あたりは大変な事になっていた。

澄世は連日、買い出しに行かされ、帰りも連日遅くなった。編集局は毎日、熱気が溢れていた。

その翌々年、神戸で少年による悲惨な殺人事件が起きた。編集局長が毎日、代表室へ駆け込んで来て、見出しや内容を報告していた。

この頃から、疲れがとれないようになり、澄世はこっそり、会社の近くのホテルに泊まり込み、ブラウスだけ着替えて出社し、やっと毎日の仕事をこなしていた。つぶさに入る報道の最前線にいて、澄世は疲れ、情報に触れる度に心が痛かった。

人間関係も孤立していた。そのうち、眠れなくなった。十日ほど、眠れぬ日々を送って、とうとう病院へ行くと、心療内科を紹介された。

会社近くのK病院の心療内科へ行った。白髪で長髪のメガネがキリッと似合うD先生は静かにはっきりと言った。

「あなたは鬱病です。休養が必要です」
「……」

澄世は何故かわからないが涙が溢れ出た。しゃくり上げて泣いた。

「すぐ休みをとりなさい。今から診断書を書きますから、いいですか、会社を休むんですよ」

D先生は、澄世を納得させ、落ち着かせるように静かに話した。澄世は二週間の休職願いを出した。

始め、抗鬱薬のテトラミドと睡眠薬のアモバンが出された。飲むと体がだるく重くなり辛いのだが、そのうち眠れるようになった。薬は色々と変わり、段々と増えていった。