木刀侍
運転席がある車の左側に炎が広がり、一帯が火の海と化している。激しい火柱が炎の壁となって迫り、炎の合間から、拳を上げた群集が叫びながら奇声を発している姿が、劉温来にも見えている。
ガンッ、ガツンッ
群集は怒声をあげながら、今度は石を投げつけている。
ガチャーンッ、ドン、ガツンッ
炎を通りぬけた石が車に当たり、窓ガラスを突き破っている。
「人民委員。車を降りてください。早く、早く」
助手席に座っていた劉温来の秘書が車の外に飛び出して叫んだ。
肩や背中を炎で燃やしながらも、秘書は右側の後部座席のドアを開け、劉温来に急いで車の外に出るように言うと、腕を強く引っ張った。劉温来は秘書に腕を引っ張られて急いで車の外に出たが、煙を吸い込んでいたので激しく咳き込み、立っていることができずに膝をついた。横では、たった今、劉温来の腕を引っ張った秘書が、全身を炎に包まれたまま、うずくまってしまった。
車から外に出て姿を見せた劉温来に、群集は罵声を浴びせた。
「日本人の犬」
「日本人との交渉をやめろ」
群集の中から怒号が飛ぶ。「静かな群集」の抑え込まれていた怒りは、まるで眠っていた火山から一気にマグマが噴き出すように、激しい怒号となって発せられている。
道に膝をついた劉温来が顔を上げ、罵声が発せられた方向を見ると、群集の中から飛び出してきた一人の男が火炎瓶を投げたのが見えた。
ガチャーンッ
火炎瓶は車のルーフに当たり、ボーンッという激しい音を立てて爆発した。車は完全に炎に包まれた。もし車の中に残っていたら、今頃、劉温来も運転手と同じように炎に包まれ、断末魔の叫びをあげていたであろう。
正門横の詰所にいた数人の人民軍兵士が、火炎瓶を投げる群集に向かって走る。群集は波が引くように一斉に逃げ始めたが、逃げながらも、次々に人民軍兵士に向けて火炎瓶を投げつけている。火炎瓶から流れ出た油は、まるで生き物のように炎を走らせ、劉温来に迫って来る。
「ここにいては危険だ」
劉温来は燃え上がる車から離れようと起き上がった。秘書は炎に包まれたままうずくまり、まったく動かなくなっている。
正門の詰所から走り出た一人の人民軍兵士が、劉温来に駆け寄って来た。