【前回記事を読む】その女子高生は僕が一人だと分かると、やおら浴衣をはだけさせた。じわじわと捲り上げ、太ももが露わに…小5の夏、母の留守中だった。

Ⅰ 片想いだらけの青春

コラム①雑司が谷界隈散策(一)──不思議な光景

その漱石の墓の先には「近代演劇の父」と言われた島村抱月の墓碑があった。自然石に刻まれた格調高い文章は高校生のときに暗誦して、今でも諳(そら)んじて言える。

在るがままの現実に即して
全的存在の意義を髣髴す
観照の世界也
味に徹したる人生也
此心境を藝術と云ふ  抱月

ところが、ある日行ってみるとそっくりなくなってしまっていた。

霊園の管理事務所に尋ねると、ご遺族の意向で「墓じまい」されたという。何とか残す術がなかったのだろうか。

また、変わったところでは、すり抜け(窃盗)の名人「鬼あざみの清吉」の墓がある。自首するまで運よく捕まらなかったことから、ご利益にあやかろうと墓石を削って持っていく人がいるとかで、かなり傷んでしまっている。説明の看板が設けられているが、さすが泥棒に東京都教育委員会名での解説はためらったのか、ここだけは辞世の句に添えて菩提寺の名が記されていた。

武蔵野にはびこる程の鬼薊
今日の暑さに枝葉しほるる

近年、「見上げてごらん夜の星を」の作曲家いずみたくさんのお墓が加わった。その脇の墓碑には作曲家らしく五線譜にタイトルが刻まれている。

霊園の一帯は昔「徳川将軍家の鷹狩りの場」で、御鷹部屋(おたかべや)の敷地だった。現在は「御鷹方御組屋敷道(おたかがたおくみやしきどう)」と霊園との境は樹木塀で間仕切られ、静かな住宅街となっている。

不思議なことに、その一角に四、五軒と離れていない間隔で床屋さんが二つもあった。今は二軒とも店を閉じてしまったが、この謎を知っている人ももういなくなってしまったみたいだ。

かつてはこの先の「東(あずま)通り」に連なる商店街として賑わっていたそうだが、片側に墓地の塀ができるとともにだんだん廃れていき、今では墓地向けの石材店とお茶屋を残すだけとなった。そして「隣接する二軒の理髪店」の誕生となったらしい。(話題提供:吉村理髪店)