【前回の記事を読む】上位1%にも満たない、年間1億円以上を売り上げる人たち。なぜ、あの人だけ売れるのか? 成果に大きな差が生まれる理由とは…

第一章 筆者の歩みと本書の目的

1-1 エージェントという仕事との出会いと気づき

筆者のキャリアの起点

まず、私の自己紹介をさせていただくと、エージェントとしての経歴は2017年にRGF Professional Recruitment Japan(通称RGF)という、リクルートが外資系のエグゼクティブサーチの会社を買収して作られた会社に入社したところから始まります。

そこで、ITエンジニア関連職種の人材紹介を担当し、3年間の在籍期間の中で年間4000万円ほどの売上を立てられるようになりました。

その後ブティックエージェント(用語集2-1)に転職し、担当する職種の範囲をIT関連職に加えコンサルティング職まで広げ、2018年頃から始まったDXバブルからくるコンサルティング業界の盛り上がりという追い風も受け、ブティックエージェント在籍中の5年間で年間平均売上が1億円を超える実績を3年以上継続的に達成することとなりました。

その後2025年にFlare株式会社を創業し、現在もプレイヤー兼経営者を続けています。

経歴については先の通りですが、もう少し私個人のお話をすると、私の人生は京都の伏見区という、日本酒とヤンキーで有名な下町で生まれたところから始まります。

厳しくも明るく好奇心旺盛なタイプの父親と、心配性で天然な母親、そして能天気な妹に囲まれ、賑やかな幼少期を過ごしていました。

父親は結婚前に起業していた経験があったり、サラリーマン時代もあったり、色々と苦労した経験があり、仕事の話をよくしてくれました。また、「自分のことは自分で決める」「決めたことは責任を持ってやり切る」ということを父にはよく教え込まれた気がします。「自由と責任」というのが我が家の掟だったように思います。

母親は地元で小さなパン屋を営んでおり、とにかく料理が上手。今でも母の唐揚げが一番好きです。妹とは、私の反抗期がすごすぎて距離があった時期もありましたが、今はとても仲が良く、なんでも話し合う親友のような存在です。とにかく家族の仲が良く、私は今でも酔うと家族自慢の話をしてしまう、そんな家庭で育ちました。

私自身について言えば、小学生の頃から勉強も運動もわりと得意で、なんでも器用にこなすタイプの人間でしたが、とにかく飽き性でした。小学生の頃は、週末に男の子に混じってソフトボールチームに入り、中学生の時は一瞬オーケストラ部に入ったものの、クラリネットにすぐ飽きて帰宅部になり、代わりに近所のテニススクールに通っていました。

高校時代のコーラス部も、大学時代のバドミントン部も、そこそこうまくなったらすぐ飽きてしまって1年半で辞めました。飽きっぽいだけでなく、向こう見ずで見切り発車な性格ゆえ、自転車で車や原付に計5回ほど轢かれたりもして、両親の心労は計り知れなかったと思います。