幼少・小学校時代

父・栄作の先祖は1504年千葉上総が初代です。父は19代目英五郎とフカの三男、兄弟は男3人女2人でした。明治29年6月1日の三陸津波で、千田家別家5代目興太郎・シノの家族が全滅、家督相続人として、栄作が選ばれ、大正9年3月29日から千田に改姓しました。

母・初代の父方は、仙台菅原家菓子職人・母方は沼田家地主の出身。菅原家は廣田に住む、叔母を頼りに大船渡に移住し、菓子屋をはじめました。ここで父・栄作と知り合い結婚、子宝に恵まれます。

長女登喜子(主婦)、長男栄喜(教員)、二男儀作(3歳で病死)、三男次郎(1歳で病死)、四男滋章(銀行員)、五男俊章(商社マン)、六男昭夫(自営業)と、男は総勢6人です。父は戦前、船舶運送業を自営し、戦後は中型船舶の船長(サラリーマン)をしましたが、収入が少ないため、母が家業の手伝いとして、菓子屋をはじめました。

私は小学校・中学校時代は、母の菓子作りで働く姿を見て、手伝いをすることを当たり前として育ちました。盆と正月は、お寺や神社に友達とお参りをし、正月は寺で、ご住職のお話を聞くことが毎年の行事でした。

父は毎朝、太陽に向かって手を合わせてお祈りをし、その後、神棚と仏壇の前でお祈りをする信心深い人でした。そして、嘘をつくことにとても厳しい、真面目な人でした。母は、いつも笑顔で人に接することができる優しい心の人でした。

小学校時代の一番の思い出は、雪が降った早朝に校庭の雪かきをして全校の朝礼で褒められたことです。

もう一つの思い出は、隣に住む従兄弟の先生(元教員で戦時中大佐までの経験者)のことで、いつも学期末になると、自分の父親が一切成績のことを言わないのに、通信簿を見せに来いと大声で呼び出されるので、不思議に思っていました。また、この先生はいつも命令口調なので、子供ながらその話し方は、嫌いでした。

家庭が米屋と菓子屋のため、人の出入りが多く、大人の話をそれとなく聞ける機会が多かったためか、善悪を判断する基準を、耳学問でそれとなく学んでいましたが、あまり勉強もせずに友達と山や海で遊ぶことの多い少年時代でした。

教育の原点は、時代の進化に沿ってしっかりした社会インフラを整備し、構築された環境で、かつ家庭内教育こそが最重要であり、さらに人格形成には、幼少期の基本教育が最も重要です。そして生涯学習が人間を成長させる原動力になります。