『八〇歳のロマンス ~若返ったばあちゃんが恋をした~』
第1章 ばあちゃんが……
「あれっ?ばあちゃーん?どこにいった―?」
川釣りをしている自分の後ろにあるキャンプ用の椅子に座っていた祖母がいなくなり、俺は声を張り上げた。
「翔太―!ここだよ!ここ!」
声のする方を見ると、祖母は川の浅瀬で水遊びをしていた。俺はびっくりして釣り竿をその場に置き、祖母に駆け寄った。
「ちょっとばあちゃん!いくら浅いところだからって、一人で川に入ったら危ないって!もう八〇歳なんだから!」
「こんな小さい子でも入れそうなところで溺れるわけないだろう?昔はよくこの川で魚を素手で捕まえてたり、綺麗な石を探したりしてたんだよ」
「……いや、さすがにその歳じゃ無理でしょ。ずっとかがんでいると腰を痛めるよ」
「これくらいで痛めんわいっ!見ておれ。すごい獲物を捕まえるぞ」
ばあちゃんの目がギラついている。これは離れた場所で釣りをしている場合じゃないと悟った俺は祖母に目をやりながら、すばやく置いてきた釣り竿とバケツを持って、祖母の近くに戻った。
「じゃあ、俺はここで釣りをするわ」
「……わしの獲物を横取りするなよ?」
「俺の方が川下にいるんだから、それはできないでしょ」
「ああ、そうか。かっかっかっ」
俺は妙にハイテンションな祖母を横目で見ながら、小さく釣りを再開した。
ここは祖母の家から車で二〇分程のところにある自然豊かな緩やかな川だ。貯めたバイト代と祖母からもらった小遣いで中古車を買ったので、お礼をかねて祖母が希望した川に連れてきてあげていた。
実は今、祖母と二人で暮らしている。両親は健在だから心配しないでほしい。大学受験で唯一受かった大学がたまたま祖母の家から通えるところだったので、この二年と数ヶ月の間、祖母にお世話になっているということだ。祖父は7年前に他界していて、両親も一人暮らしを心配していたから、両親にとっても都合が良かったらしい。祖母はこの通りとても元気なのでまだ心配は無用と思われるが、八〇歳という年齢が心配を匂わせてしまうのは仕方のないことだ。
「ばあちゃん、水、冷たくないか?」
「これくらい冷たいうちに入らんわ。6月でこんなに暑いんだからちょうどいいわ」
祖母は俺のほうには目もくれず、川を凝視していた。川は綺麗な水で見やすいが魚は見当たらない。祖母がこの川には魚がたくさんいると言ったから釣り竿を友人に借りたが、無駄だったかなと思ったときだった。
“バチャンッ ”
大きな水のはねる音がした。俺はドキッとして祖母のほうを見た。
「ああっ!失敗した!せっかく魚が近くにきたのに……」
祖母は魚を捕まえ損ねて残念がっていたが、俺は祖母が転んで溺れるかと思い肝が冷えた。最近、川での事故のニュースをよく見かけるからか、心配に拍車がかかっている気もする。用心に超したことはないが、テレビのニュースをずっと流し見するのも良くないなと感じた。
鳥はさえずり、川は太陽の光で水面をキラキラと輝かせ、せせらいでいる。とてものどかで癒やされる空間にそぐわない感情でいる自分を滑稽に思った。祖母は俺から少しずつ遠ざかりながら、瞳を輝かせ水面を楽しそうに見ている。昔に比べ、一回り小さくなった祖母の姿が今は少女のように見えた。
「翔太っ!魚が釣れたんじゃないかい?竿がしなっとるよ!」
「えっ!うそ!」
祖母に声をかけられると同時に竿を持って行かれる引きを感じ、慌てて竿を握りしめる。祖母も驚きながら俺のほうに駆け寄ってきた。
「ばあちゃん!走ったら転ぶよ!ゆっくりきて!」
釣りは父と子ども頃に何回か行ったことがあるくらいでやり方を知っている程度だ。久しぶりにヒットした興奮が沸いてきた。
少しずつ竿を上げ下げしながらリールを回す。なかなかの手応えを感じ、もしかしたらまあまあ大物かもと期待に胸を躍らせる。そして近くまで引き寄せ竿を一気に引き上げた。
「……あら。かわいい魚だね。まだ稚魚じゃないかい?逃がしてあげようか」
祖母が糸をたぐり寄せ、元気に跳ねる八センチくらい魚を近くで見て言った。
「……そうだね」
手応えの割には小さすぎる魚を見ながら、俺はため息まじりにこたえた。
俺は魚の顔を何とか掴み、魚の口から釣り針を外して川に返してあげた。そして俺はまた釣り竿を振り、祖母はまた川の中の獲物を探しながら川上に歩いて行った。
二〇分くらいたった頃、また祖母のいた辺りで“バシャン〟と音がした。また魚でもいたのかなと思い、釣り竿から目を離さずに祖母に声をかけた。
「ばあちゃーん。魚、捕まえたのー?」
……返事がなかった。
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