『鏡のなかのカノープス』
① 生(あ)れしばかりといへど抱きし子羊のすでに羊の運命を持つ
――倉林美千子 『風待つ翼』 より
『あなたは寝ながらひどく泣いていて、その涙をぬぐいながら、「ああ、これは夢か・・・」と安心してまた寝落ちしたことはありませんか?わけを、知るためさっきまで見ていた夢に戻ろうとしますが、どうも場面がすっかり変わってしまって、号泣していたわけをもう追うことができません。
シーンは変わり、数人が海を臨む森の入り口で楽しく語り合っています。そこにいる誰一人をあなたは知りません。心地よい海風が浪打の音を運んでくるタブノキの林冠の開けた陽の透けるひとところ。太枝に座って見下ろしているとび職風の男が黒紫色の小さな実を手に取って皆に見せながら
「俺は鳥がいいな。食うのに困らねえ!」
と声高に叫ぶと、下の草地のひこばえに座っている少女がからかいます。プードルっぽいアフロ髪をオレンジにカラーしていて、陽を浴びてまるでスーパーサイヤ。
「ヒヨドリ?びみょい!」
「ヒヨドリって決めてないさ」
「だって、その実、ヒヨドリぐらいしかイカねーし。」
「よし!ハヤブサにする!」
「そのキャラじゃなくねェ?」
手の実を少女の方に男が投げつける。
「じゃあよ、ねーちゃんは何になるんだ?」ひこばえの上に少女が立ち上がる。
「スズメバチの女王!大軍を率いるスズメバチの卑弥呼!うちらの巣を突っついたりした
ら、ガチでおわるよ!」
男が枝から飛び降り、走り寄って少女の頭髪を両手でかきむしろうとする。
「フツーにやめてほしいんだけど!!」
「わりー、わりー!これかと思ったぜ、ねーちゃんの巣!」
男が持っていた1メートル程の細枝をもぎ取って、少女が男を追い払います。別の青年が海の方を指さしながら歩いてゆきます。
「俺は鯨だな、やっぱ。北極が全部溶けたって、溺れる心配ないし。一度やってみたいなって・・・。ほら、海面から跳ね上がってバックドロップでバッシャーン!!ってまた海に戻るやつ。で、潮吹いてぐんぐん広い海を泳いでく。」
2,3人で固まっていた中年の男たちが同調している。
「気持ちいいかもな、確かに。」
「喰われる心配ないしな・・・」
「そうだな。人間の捕鯨もどんどん制約されてるし。」「何より、空気読まないで済むじゃん。俺、いちいち空気読めって嫌われててさ。空気なん
てない方がいい。」
初老の深緑色のベレー帽を被った品格を感じさせる紳士が横から口を挟みます。
「それどーかな・・・。海面に出て噴気孔から空気を吸ってるんじゃなかったですか?その
潮吹き?」
「え?そーなの?俺、嫌だな。空気あるとこ。」
「だったら、深海魚ですな、あなたは。」
「で?おたくは、どーしたいの?」
「私は太古からの地球上でもっとも古い命になりたい。」
「アメーバ?ミドリムシ?」
「いや。私は泳ぎが苦手で・・・。やはり陸がいい。」
「まさかステノザウルスとかですか?絶滅してるからもうダメでしょ?今もいる生き物じゃないと。」
「海から陸に上がってはびこった最初の生命は緑色の植物なんですよ、光合成する・・・」
「確かおたくは学者さんだったっけ?」
「はい。いろいろ考えましたが、彼が乗っていたタブノキも海が望めていいのですが、海岸は津波も来ますから、内陸の欅とかブナの大樹になれればと思っています。きれいな水をたくさん吸いあげて、陽を浴びて。私が出す酸素を見上げている人間にサステナブルに供給する使命もありますし。」
「先生、それ最高ですよ!僕たちは生まれ変わったらリスになって、ドローン爆弾が飛んでこない森でまた一緒になって、今度こそ平和に夫婦で暮らしたいなって思ってるんで、ぜひ先生の樹に巣をつくらせて下さい!」
欧州系のカップル。片肘で起き上がって夫の方が流暢な和州(わしま)語で先生に向かって懇願します。妻がその夫の血まみれで飛び出している腸を腹に戻そうと押し返しながら何度も頷いています。二人は陽だまりの端の砂地に寄り添ってうずくまっています。砂が血を吸って二人のまわりだけ黒く乾いています。
「大丈夫ですか?もう痛みはないですよね?もちろんです。私に樹洞(うろ)を作って一向に構いませんからね!それに和州(わしま)がいいですよ。資源もないから侵略もきっとされずに済みますよ。」
カップルが揃って肩を抱き合ったまま先生の方に姿勢を少し正して深々とお辞儀をしています。
二十代半ばの知的な品格の漂う母親が海の方を見つめながら真っ白な羊毛の被り衣で包んだ赤ん坊を抱いて草地が切れた海に一番近いところに座っています。外人の夫婦の様子を観て、皆が押し黙ってしまいました。軽口が叩ける情景ではないからです。この時、その母親が海に向かって立ち上がりました。右手に短刀を持っています。白い麻の貫頭衣を腰で金糸の幅広の帯のようなものでいわいて、緑碧玉を通した管玉(くだたま)の大きな輪を首に掛けています。あきらかに他の皆と纏っている服もオーラも違います。そして、背景の皆に聞こえる声で百人一首の読手(どくしゅ)の節読みの口調で独り言のように呟きました。
「生れしばかりといへど抱きし子羊のすでに羊の運命を持つ・・・」
その時、ここに集まった皆が実は亡くなった人たちなのだとやっとあなたは夢の中で気づきます。次に生まれるとしたら何になりたいかを言い合っていたのだと。
この作品は「ゴールドライフオンライン原稿掲載企画 第2弾」の応募作品です。
気に入っていただけたら、この記事の下にあるリアクションボタンで応援してください。皆様のリアクションが、そのまま投票になります。
投票期間:2026年10月16日(金)〜11月15日(日)23:59
結果発表:2026年11月20日(金)
リアクションの合計が最も多かった作品は、12月に全文を掲載します。
※公開予定は変更となる可能性がございます。
ほかの応募作品や企画の詳細は、以下よりご覧いただけます。
▶ 原稿掲載企画トップページへ