第1章 私のこと

この本を書くにあたり、どういう経緯で本書の執筆に至ったのか、どのような体験や経験をもとにこの思考に至ったのかを知ってもらう上で、私のことを少し知っていただく必要を感じまして先に自己紹介させていただきたいと思います。

私は昭和48年1月生まれの男性です。

職業は医師で、主な診療科は産婦人科ですが、麻酔科医としての一面もありちょっと変わり種と言えるかもしれません。

医師になりたての研修医1年目から4年間、麻酔科に所属し、麻酔科業務半分と救命センターや外科系の診療科を研修するローテーターとして医療の基礎を学んでいました。

その間に麻酔科標榜医(「麻酔科医です」と世間に周知しても良いという国家資格を持った医師)の免許も取得し、現在も診療の中で麻酔科医として獲得した技術を使って仕事をしています。

第1章では私の半生を振り返り、この本で伝えたいこと、訴えたいことを考えるに至った経緯をお話しできればと思います。

その1 生い立ち

私が誕生した土地は南アメリカ大陸の真ん中付近に位置するパラグアイ共和国という内陸国の南の端に近いラパス市(当時はフラム)といった日本人移住地です。

昭和40年代の前半、大学医学部を卒業後1年間のインターン制度がありました。祖父が内科医で、父も医師を目指して北海道大学医学部に在籍していました。父の大学卒業数年前にそのインターン制度が廃止され、医学部卒業後早々に国家試験があり、合格すれば医師としての研修が始まるように制度が変わりました。

また、父が医学部在学中に日本各地で学生運動がおこり、医局封鎖のような状態で、父は熟慮の末に大学でなく、当時北海道大学の関連病院であった青森県立中央病院に就職し、臨床研修に励んだと聞いています。

一年余りの研修生活の途中で、「医事新報」という医師向け雑誌に載っていた「南米パラグアイ共和国への移住事業」の海外派遣医師募集に応募し、現地に設置された海外移住事業団(現JICA)の運営する診療所で働くことになりました。

政府が展開していた南米への移住事業は、戦後復興の最中、第2次ベビーブームから生じた日本国内の余剰人口を移住事業により調整をつけたい日本政府と、隣国との戦争後国内復興に移住者を受け入れたいパラグアイとの間に移住事業がすすめられたという背景があったそうです。

 

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