14 今度こそ、私はあなた自身とあなたの家臣とあなたの民に、あらゆる災害をくだす。私のような神は、地上のどこにもいないことを、あなたに分からせるためである。

15 実際、今までにも私は手を伸ばし、あなたとあなたの民を疫病で打ち、地上から絶やすこともできたのだ。

16 しかし私は、あなたに私の力を示して私の名を全地に語り告げさせるため、あなたを生かしておいた。

(出エジプト記9章14-16節)

 

はじめに、ひとは、かたちを持たなかった。名もなく、輪郭もなく、ただ柔らかな光として、互いのなかに溶けあっていた。神は、それを不完全と呼び、ひとの身体を裂いた。それぞれに名を与え、それぞれに欲を宿した。孤独は、そこからはじまった。名も、身体も、渇きも、すべては、再会を希うためにある。

これは、その境界に触れてしまった者たちの物語である。

プロローグ「創世の起点」

ニューヨークの朝は、薄い霧の膜を一枚だけ残して、いつも突然に始まる。

イースト川から流れてくる風が、街のビルの隙間を磨くように通り抜け、路上の古いゴミ袋の匂いも、焼きたてのベーグルの匂いも、同じ速度で遠ざけていく。

瀬戸崎(せとざき)亜佐美(あさみ)は、ロングアイランドの自宅コンドミニアムの窓際に立ち、カップの中の黒いコーヒーを少しだけ揺らした。

ガラス越しに見る街は、いつまで経っても“生活”というより“構造”に見える。人の営みが層になり、数字と速度が積み重なって、巨大な一つの臓器のように脈を打っている。その鼓動の中で、彼女は今日も、整然と息をしている。

彼女はもう、聖東学院(せいとうがくいん)大学医学部付属病院の医師ではない。

十年前、あの一連の出来事が世界を揺らした後、彼女は医師としての肩書きを、自らそっと降ろした。