【前回の記事を読む】元友達の人気女優を週刊誌に売った。既婚俳優との密会が報じられ、彼女のSNSは完全に停止…3か月後には——
10.友達がいました
亀島のスキャンダルが芸能生命を断ったのは、彼女の立場がまだ砂地の上にあったからだ。
これは単純な話だ。
圧倒的な実績と、業界内での絶対的な信頼と、視聴率を保証する看板としての価値。その3つが揃っている人間は、不貞くらいでは落ちない。多少の傷はつく。でもそれは表面の傷だ。幹が太い木は、枝葉が折れても死なない。折れた枝葉はむしろ話題になって、その木の存在を補強することさえある。
バラエティ界の大御所が不倫しても翌週には同じ時間帯に同じ顔が映っている現実を見ろ。重鎮女優が醜聞まみれになっても、映画の主演から降ろされた話など聞かない。
なぜか。代わりが利かないからだ。
代わりが利かない人間に向かって石を投げても、石を投げた側が疲弊するだけだ。それを知っているから、石を投げる人間は代わりの利く標的を探す。
亀島はまだ換えがきく段階だった。そこが致命傷だった。
才能はあった。頭も良かった。将来性もあった。でも今の段階では、同じ形のパーツが他にもある。私がその証拠だ。
だから私は早く、代わりの利かない存在にならなければならない。
自分が同じことをされないために。
そのためにはイメージの管理が要る。
私の過去は地雷原も地雷原だ。しかもその地雷は撤去することはできない。不可逆なのだ。
学校でのいじめ。体を売った夜々。高畑への仕掛け。記者への密告。
これらが一本の線で繋がって表に出た瞬間、現状の『努力する知性派女優』というブランドは一夜で消える。再起不能の痛手になるだろう。週刊誌は飯のタネに困っていないわけではない。私の過去は読者の正義感を刺激する良質なコンテンツになり得る。
だから聖人君子を演じる。
徹底的に、完璧に、隙間なく。
舞台裏で誰かの弱みを握ることと、表舞台で清廉潔白な人間を演じることは、一見矛盾するようで矛盾しない。むしろ表裏の落差が大きければ大きいほど、表の信頼が厚くなる。
人間は自分が信じたいものを信じる。私が清廉に見える分だけ、清廉だと信じる。信じている間は疑わない。疑わない間は暴かれない。
ファンのコメントへの返信は必ず丁寧に。後輩タレントへの言動はカメラのある場所では常に温かく。インタビューでは謙虚さと向上心を適切な比率で配合する。慈善活動への参加は年に2度、写真が撮られる場所で。読書量を時々SNSで開示して、知性派のイメージを補強する。
きつい。正直に言えば、これが1番きつい作業だ。