「いいわよ、30分くらいなら。私、喉が渇いちゃって。何せ名演奏の後だもの」と彼女が言い、二人で笑った。
冬が終わり、4月の風は何となくそわそわした気分にさせる。
彼女はセミロングの黒い髪を茶色のバレッタでとめ、淡いパープルのカットソーに長いダークブラウンのフレアスカート、上にはクリーム色のカーディガンをはおっている。上品で整った顔立ちで化粧っ気はないが美しい。背はあまり高くないが姿勢が良くスリムな体型だ。
彼女の年齢は僕より少し下で30歳くらいかな、と思った。僕は、4月の風のせいなのか彼女のせいなのか、年甲斐もなく浮かれた気分で歩いた。彼女は「春ね」と言った。
楽器店から10分くらい歩いたところに赤煉瓦でできた喫茶“ぶるーたす”に入った。実は僕もものすごく喉が渇いていて、二人ともアイスコーヒーを注文した。
「君の名前を聞いてもいいかな……」
「月子よ。お月様の月。ピアノを教えているの。あなたは?」
「僕は龍二。龍神の龍に漢数字の二だよ。お茶を教えているんだ」
「お茶って茶道? あのシャカシャカするやつ?」
「そう、シャカシャカするやつ。父が柳田流の家元なんだ」と言ったと同時に、
「家元ーーーーっ!!」と月子が立ち上がり大声を出した。幸い僕ら以外に客はいなかった。月子は椅子に座り、アイスコーヒーを一気に半分飲んだ。
「ちょうどいいかもしれない」
「何が?」
「私はしがないピアノ教師だけど、実家は“中村亭”なの」
「“中村亭”!! 和菓子の超有名な老舗じゃないか!」今度は僕が大声を出した。
「うちは中村亭の和菓子しか使っていないよ」
「いつもごひいきにしていただき、ありがとうございます」そうにっこり笑うと、
「あっ、いけない、午後のレッスンの時間だわ。――やだ、大変!」
「え? 何? 今度はどうしたの?」