二つ目の余談ですが、1974年にフィリピンのルバング島で小野田寛郎氏が発見されたことを記憶している人もいるかと思います。
知らない人のために簡単に説明しますが、先の大戦中に当時陸軍少尉だった小野田氏はフィリピンのルバング島に派遣され、戦争が終わった後も外部との情報連絡ができない中まだ戦争が続いていると思っていたため、玉砕や投降を拒んで生き延びていた人です。
当初はそれなりの人数がいたのでしょうが、最後まで生き延びたのは小野田氏のみでした。そして小野田氏は29年振りに帰国し、その当時の日本の現状に触れた後、「戦前と大きく価値観が変貌した日本社会に馴染めなかった」とのことで、ブラジルに移住しました。小野田氏にとってはそれほど日本の精神文化は変貌したのだと思います。
そしてもう一つ参考になる情報は、イギリス人旅行家のイザベラ・バード女史が明治時代に出版した日本旅行記にあります。当時の日本人の振る舞い方を垣間見ることができ、日本人の精神性の高さが窺えます。
1970年代後半になると日本の経済もかなりよくなってきて、“1億総中流”に向かい始めていました。そして円相場も1ドル300円の時代から、250円前後になり、収入面で上流の家庭でなくても、子供を留学させることができる時代になってきました。自分はこのグループに入るのでしょう。
そして1985年のプラザ合意によって一気に円高になったために、旅行感覚でアメリカに短期の語学留学する人が激増しました。留学ではなく遊学ですね。自分の学生時代、カバンの中には辞書をいつも入れていました。分からない言葉を調べるために必要で、頼るべき人は自分自身のみです。
しかしこの頃に来始めた人達は、本気で語学を学びに来たのでなく、遊びの延長でした。そして簡単に他人を頼りにしていました。
但し、アメリカ留学が簡単になったことで、劣化した日本人が増えたのではないと思います。マスメディアや雑誌が日本全体をダメにしていったのだと思います。
遠い国から日本の状況を見ると、誠にクダラナイことに一生懸命に熱を上げているように見えます。本当に“幸せで能天気な国だなぁ”と感じていました。その結果、自分の世代も含めて、段々と劣化した日本人がアメリカに渡っていったのだと思います。
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