【前回記事を読む】「産業は消費者に近づくほど縛られる」――では“情報”は第何次産業か? 既存の枠が崩れる理由とは

第2章 「新産業文明論」Ⅱ ─その背景にあるもの─

第1節 産業構造を決めるもの

1.人類の歴史は効率化の歴史─産業構造決定その1(産業と文明)

人類の歴史を振り返ってみると、それは“効率化の歴史”といっても過言ではありません。「時間や労力の効率化」をいかに図れるかを考え続けてきたということです。

狩猟や農耕は人類が生命を維持するための手段です。原始世界ではそのために何日も費やしていたことでしょう。

「時間の効率化」は、近代に近づくにつれ、さまざまな進化を遂げてきました。例えば、道具を利用した生産技術の向上、言語や文字を活用したコミュニケーションの発達、作業の分業化や役割分担、そして組織化・機械化による大量生産の実現、それに伴う情報の共有化といった産業化と情報化が2つの大きな波となって、近年では多様性を伴って効率化が進化しています。

命の危険と隣り合わせの原始世界では、その日の糧を自然から確保することすら命懸けであり、肉を食せぬ日が何日も続いていたであろうことも容易に想像がつきます(第1次元産業の勃興)。

そのうち獣に素手で立ち向かっていた男たちの中に突然、獣に襲われながら必死に掴んだ石で獣の頭を殴ったところ、その痛さに獣がたじろぐ様を見て仲間とともに石を使って狩りをするようになっていきます。これが道具の始まりです。

道具も石斧、ヤリ、弓矢へと進化し、これまで獲物にありつくのに1週間かかっていたものが、道具の発明・多様化のおかげで1日ですむようになり、時間の効率化を図ることが可能となっていくわけです(第2次元産業の勃興)。

日によっては家族や自分が食する以上に収穫があったりすると余った獲物は仲間に分け与えるか、仲間同士持ち寄って、他のモノと交換をするようになっていったであろうことも容易に想像できます(第3次元産業の勃興)。

この第1次元産業⇒第2次元産業⇒第3次元産業へのサイクルは、時代は移れども自然⇒モノ⇒サービスに関連するさまざまな用途で、「効率化」のための発明や発見を伴い、現代社会に至るまで連綿と繰り返されてきたのです。

これまでのように人類が経験してきた「効率化」のための発明や発見は、人類が引き続き「効率化」を欲する限り、姿こそ違えどこれからも途切れることなく続いていくに違いありません。

実は効率化とは大きく2つのタイプに分かれます。1つは量の効率化、そしてもう1つは質の効率化です。

この2つの効率化は双対(そうつい)(巻末『語句とその定義』を参照)関係と互いに補完し合う関係にあります。

もっと速く、もっと楽にといった時間や労力という量の効率化の追求が、前述の産業化の波や情報化の波といった数々の発明や発見を呼び起こし質の効率化を誕生させます。

しかしまた、非凡な才能の持ち主の卓越した直感力やイメージ力、デザイン力による発明や偶然の発見は直接的に質の効率化を達成し、結果的に量の効率化をも達成するようになるのです。

また、この関係は需要と供給という関係に酷似しています。量の効率化が求める側の需要であり、質の効率化が与える側の供給です。

これまで一般的には量の効率化として、既に市場には求める需要が潜在していて、その需要を満足させるために新たなモノを発明し市場に供給するといったパターンが多いようです(ⅰ)。

しかし、質の効率化としてしばしば、先に際立った発見や発明があり、それを市場へ紹介することによって新たに需要が市場で喚起されモノが供給されるといったパターンもあります(ⅱ)。

ⅰの例としては、文字の発明や印刷技術の発明、自動車・飛行機の発明などがあり、ⅱの例としては石油の発見、アメリカ大陸発見やアインシュタインの相対性理論、シュレディンガーやハイゼンベルグらによる量子力学や山中伸弥教授のiPS細胞の発見などがあります。以下は、産業化と情報化という観点から見た主な量の効率化と質の効率化の歴史です。