私の記憶にはないが、よっぽどいとこの家で遊びたかったのだろう。いとこの家は、いつも太陽のように明るく、笑顔に満ちて、心地良い家だった。
お母さんは全てにおいて厳しく、食べ物にも厳しかったから、インスタント食品やレトルト類など一度も食べたことがなかったが、山口家ではそれを食べさせてもらえた。これがまた美味しいのだ。
いつも山口家に行くと「ちゅるちゅる食べさせて~」とお願いしてインスタントラーメンを食べさせてもらったり、ポテトチップスを食べさせてもらったりしていた。
よく泊まりにも行っていて、新田家と違って、いつも夜はみんなでトランプをしたりゲームをしたり、夜景を見にドライブに行ったりしていた。小さな一戸建てだったが、楽しい思い出がいっぱい詰まった家だった。
私は近くの保育園に通っていた。が、不思議と記憶はほとんどない。先生が優しくて綺麗だったことだけ覚えている。
そしてその保育園内の花壇をみんなで散歩している時、土の中からミミズが出てきて、先生がミミズを棒に引っかけてみんなに見せていた。
くねくね動くのがとても怖くて泣いたことだけ覚えている。
そして3歳くらいから幼稚園に通い始めた。私より早く通っていた子達は既に友達がいたりして、羨ましかった。よく考えると私の家庭環境では私以外はみんなとても年上か大人ばかりで、同じ年頃の子供はいなかった。
だからどうやって同じ年の友達と接すればいいのかよくわからなかったし、厳しく静かな家で過ごしていた私は、みんなのようにはしゃいだりふざけたりうまくできなかった。思ったことをポンポン口に出せる子供ではなかった。
それでも次第に友達もでき、普通にみんなと遊べるようになっていった。
幼稚園は、お寺が沢山並んでいる寺町の方にある、坂を下ってしばらく歩いて、また階段を上っていった上にある、お寺の中にある幼稚園だった。
お父さんが市役所への出勤前に一緒に私を送っていってくれていた。長崎の道は狭いので車との距離が近く危ない。だからいつもお父さんの手に引かれて歩いていた。
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何の取り柄もない子供だった。家族の中で唯一そばかすがあり、自分の顔が汚れているのだと思いしょっちゅう顔を洗っていた。
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