お互い多忙な日々を送っていたが、昭和一桁生まれのお袋から「孫の顔が見たい」と矢のような催促を言葉が受話器越しに聞かされるので、いつも適当に受け応えしていた。
疲労困憊を職場から引きずって帰宅すると、妻がニコニコしながら待っていた。珍しく夕食の準備をしながら。
「何かいい事でもあったの?」と着替えながら尋ねると「フフ、夕飯の時にね」と意味深な笑みが……「何かしたかな?」心でぼそっと呟いた。男はどうしてもこういう時は自分の行いを疑う生き物である。
夕食の準備ができて、空腹で早く食べたい気持ちを堪えて「で、何があったの?」と恐る恐る聞くと……「あなたはパパになります!」 一瞬、何を言っているのか分からず、持っていた箸を静かに置いた。 そのあとは欣喜雀躍して、私だけ祝杯に酔いしれた。
職場でも上司から「やっと一人前になれるな」とからかわれるのがこそばゆく、けどうれしくて仕事にも張り合いができた。「お義母さんに早く連絡してあげて」。
妻から毎度催促されて伝えたのが、判明してから実に一週間後だった。逆に妻のお義母さんは実家が車で三十分なので、判明後毎日我が家に来る日々が続く。
仕事も順風満帆であり私生活も幸せいっぱいだった。だが幸せな日々がなぜかそう続かなくなっていったのは、この時期からなのであろうか。
大きな仕事を任せられるようになった三月の下旬、職場に妻の病院から電話があった。まだ携帯電話が無かった時代である。妻の体調がよろしくないから至急病院に来て欲しいとの内容である。仕事を放り投げて病院に飛んだ。
病院に到着するとICU病室に通された。妻はと見ると、管が体から生えているかのような状態であり、血圧が二百をぶっちぎっているとのことだった。妊娠中毒症※と診断される。
「血圧が下がらないのでICUで集中治療します。お子様にとってとても危険な状態です。早期帝王切開でお子様を取り上げますので別室で署名をお願いします」
淡々と述べる看護師から書類を渡され、何を考える余裕もなくその書類に署名した。
※は当時の文言のまま記載
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「息子の顔が見たい」と言う妻に、私は「後でゆっくりね」と言ってしまった。だがそのあと妻は意識を失い、我が子に会えないまま…