「このままだと危険域です」
「危険って?」
「透析の一歩手前」
その単語は知っていた。知っているからこそ、耳の奥で反響した。
透析。機械につながれて、血を回すやつだ。
私は思わず聞いた。
「それ、今日からですか」
「まだ回避できる可能性はあります」
“まだ”という言葉が、細い綱みたいにぶら下がっていた。
夕方、部屋が決まった。
「入院です」
看護師がさらりと言った。
さらりすぎて、現実感がなかった。
4人部屋。窓際ではない。だが空調の風が直撃する特等席だった。寒い。
隣のベッドの老人が話しかけてきた。
「何で入ったの?」
「腎臓です」
「お仲間だ」
老人はにやりと笑った。
「ここは“むくみ村”だから」
そのネーミングセンスは嫌いじゃなかった。
夜、母が来た。バッグ持参で。
「ほらね」
勝ち誇った顔だった。
「笑い事じゃないよ」
「笑えるうちは笑うの」
それが母の介護哲学だった。
「で、原因は?」
「まだ不明」
「不明が一番怖い」
本当にそうだった。
原因が分からない病気ほど、人を不安にするものはない。
その時、看護師が来た。
「夜間も尿量測りますね」
「全部ですか?」
「全部です」
渡されたのは、目盛り付きの透明な容器だった。
私はそれを見て思った。人間の尊厳は、意外とメモリ付きだ。
その夜、ほとんど眠れなかった。
点滴のポンプが一定のリズムで鳴る。
ピッ……ピッ……ピッ……。
まるで時間が減っていく音みたいだった。
次回更新は5月4日(月)、16時30分の予定です。
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