第2章 粛清

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恵子から話を聞いた翌日――ラーメン激戦区として有名な窪荻(おぎくぼ)駅北口に降り立った柊は、巨大な商業施設に背を向けて駅前ロータリーを右に進んだ。

居酒屋の角を曲がり、路地に入る。角から3軒目、3階建てのビルの1階が目当ての古書店だった。間口2間(約3・6m)の小さな店。引き戸のガラスは曇り、手書きの「営業中」の札が斜めに掛かっている。入り口の上には「鉄心堂書店」と書かれた古びた看板が掲げられていた。

看板を見上げた柊は、フッと笑みを浮かべ、引き戸を静かに開ける。うなぎの寝床のような細長い店内。左右の壁はうず高く本が積み上げられ、古い雑誌類などは束ねたまま通路にまで溢れている。その奥の机の前に、まるで古本と同化してしまったような白髪の男が座っていた。

保常忠義(ほうじょうただよし)。元組織犯罪対策課、いわゆる組対の刑事だった。現職時代は歩き回って鍛えたアスリートばりの筋力でどこからどう見ても熱血刑事だった。

今はロマンスグレーとはいい難いほどの白髪比率で、筋肉は落ちてきているが70歳にしては元気そうだ。時折見せる鋭い眼光は昔のマル暴時代の名残をとどめている。とはいえ、以前から服装にはこだわりがない。色あせたワークシャツに穿(は)き込んだジーンズ、ひと昔前のスニーカーという普段着そのままに、のんびり店番をしている姿は、ただのさえないオジサンに見えなくもない。

柊がまだ本部捜査二課で数字という名の悪意を追っていた頃、本部組織犯罪対策課の保常と出会った。初対面の瞬間、理屈を超えた直感が二人をつないだ。言葉を重ねるほどに、互いの正義のありかと、守るべき最後の一線がピタリと重なっていく。それは、孤独な捜査の中で見つけた、唯一の鏡のようだった。

あるとき、柊は暴力団が仕掛けた底なしの沼に足を取られた。裏金の濁流を追うなかで、周到に用意された罠(わな)。孤立無援、闇に呑み込まれようとしたその時、背後から音もなく現れたのが保常だった。

「……遅かったか?」

短く吐き捨て、保常は一気に現場を制圧した。あのとき、保常が差し出した無骨な手。

それが、絶望の淵にいた柊を救い出しただけでなく、事件の核心を抉(えぐ)り出す一撃となった。

あの日以来、保常に向けられる柊の視線は変わった。 壁にぶつかり、思考の迷宮に迷い込んだとき、柊の足は自然と保常を求めた。保常は、深い霧の中に灯(とも)る街灯のように、いつも絶妙なタイミングでそこにいた。頻繁に会う必要はなかった。一年に一度、交わす視線と短い言葉。それだけで、互いの「無事」と「信念」を確認するには十分だった。

二人の間に流れる空気は、師弟というにはあまりに血生臭く、同志というにはどこか静(せい)謐(ひつ)だ。あえて呼ぶなら、同じ地獄を潜(くぐ)り抜けた者だけが共有できる「静かなる信頼」だろう。

やがて柊は警察を去り、保常は特任部長として第一線を全うした。 引退した保常が選んだのは、長年通い詰めた古書店の番人という余生だった。先代の店主が「お前以外に託せる奴はいない」と頭を下げたという。

次回更新は5月4日(月)、8時の予定です。

 

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