中高生時代も、下校後にピアノの練習時間を確保できるようにと、徒歩10分で通える自宅近くの私学の中高一貫校を選んだほどである。そして私は音楽大学に行き、音楽科の教師の道へ進み、理数系に強かった弟は家業を継ぐために薬剤師になった。
教師生活は私学の女子進学校を皮切りに、公立の特別支援学校2校に勤務し、退職までの37年間に及んだ。その間には、結婚、出産、二人の子供の子育て、成長した子供たちの結婚や、夫と私のそれぞれの両親を見送るという大きな出来事もあった。
夫も私学の教職員で、退職の時期もほぼ同時期だった。私たち夫婦は、「老後は自分たちのしたいことをして、自由に過ごそう」と話し合った。
好きなことをして、楽しく元気に過ごすためには、まず体力作りだと夫と二人でスポーツジムへ通い始めた。水泳はその時に始めたのだが、クロールもできない、全くの初心者だった。エアロビクスのレッスンに参加しても、後ろの方で隠れるように踊っていた。
その頃だった。私が61歳ぐらいだったと思う。特別支援学校の教職時代に、同じ授業を一緒に担当して親しくしていた元同僚と共通の友人のパーティーで久しぶりに会い、「自転車は楽しいよ、一緒に走らない?」と声をかけられたのだった。
元同僚は現役の教職時代からトライアスロンの世界選手権に出場していたような凄い人で、ご主人も関西のトライアスロンにおける重鎮のお一人だった。今でこそ気軽に「師匠」と呼んでいるが、トライアスロンの普及に大変な尽力をされてきた方である。
後に詳しく書くが、このご夫婦とのご縁が私の人生を豊かにしてくれたと言っても過言ではないのだ。
師匠が、あるバイク練習日の何気ない会話で「小島さん、70歳といったらトライアスロンを引退しようかと考える歳だよ。それなのに、その歳から始めようっていうあんたは面白い! 本当に面白い! 70歳からでも始められるのだ、と是非、本に書いてみたらどうか? きっとみんな読んでくれるよ!」と言ってくださった。
それを真に受けた私が、夜な夜な拙い文章を書き綴り、このたびこうして本になったというわけである。