当時を振り返っても、家や学校でなかなか胸の内を表に出すことの少なかった僕。プラスの感情もマイナスの感情も、制御することなくストレートに届くというのは、家族にとって感動でもあり、同時にストレスでもあったと思う。
入院生活中、ほとんど我慢比べに近かった日々。それでも、文句一つ言わず付き添ってくれた父と母には、これからたくさん貰った優しさを返していきたい。
病院で過ごす夏休み
入院生活も少し日が経ち、僕の意識も徐々にハッキリとしてくる。
親から少しずつ、「交通事故に遭った」という事実を伝え聞く中で、自分がどれだけ浅はかな行動をしたのかを理解し、生きていることが当たり前ではないということを改めて感じ取った。
まさか搬送された日から毎日、記録を付けてくれていたとは、その当時知る由もなかったけれど。
僕はそれまで「自分の命が誰かの人生を左右する」なんて考えたこともなかった。事実、入院中にお見舞いに来てもらったり、受けられていなかった授業の内容をノートにまとめてもらっていたりと、大きなことから小さなことまで盛りだくさんで僕の周囲の生活も少し変化があったようだった。遅れていた部分を取り戻すため、多くの人に支えてもらっていた。
中学校の同級生たち、妹の少女バレー部一同から贈られた千羽鶴は今も実家の自室に飾ってある。
それまでは日々辛いと思いながらやっていたリハビリも、休み明けの学校生活に間に合うように目的を持って頑張るようになった。
端座位に慣れ、車いすに乗れるようになると歩行練習が始まった。
まずは平行棒を使って一往復するところから開始する。
ただ、以前からの体の硬さがネックになっているのか、数日間は左右や後ろに倒れそうになるところが散見された。搬送されてから数週間のベッド生活や食事量がぐっと減ったことで筋肉も落ちてしまっていたことだろう。
リハビリを担当していただいていた先生からも、体を支える腹筋が少し弱いかな〜と言われた。
歩き方が、頭では分かっているのに、上手く歩けない。
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