【前回の記事を読む】渡れる――そう確信してブレーキもかけず50キロの猛スピードで車道を突っ切った。次の瞬間、身体がボンネットへ乗り上げ…

セカンド・バースデイ

交通事故

今思い返すと、当時一番辛かったのは家族だろう。

救命手術によって、命こそ助かったが、後遺症が残らないとは限らない。

ICUから個室に移ってからも昏睡状態の僕を約1ヶ月間、仕事を休みほとんど付きっ切りで看てくれていた母、代わりに仕事が終わってからも、一人慣れない家事をしてくれていた父、当時少女バレーをしていた三つ下の妹はチーム内での問題を一人でずっと抱えていたと聞いた。

経験したことのない不安の中で、「良くなる」と信じ続けながら試行錯誤を繰り返してくれたことを、当時の僕は覚えていないからこそ、家族の愛にひたすら感謝するしかない。

リハビリ開始

家族の24時間体制での付き添いを条件に、ICUから一般病床へ転床する。

まだ一人で起き上がることが出来ないため、リハビリ時は端座位(たんざい)(足を下ろして座った姿勢。椅子に座ったときの状態などを指す)を取ることから始まる。

ただ、体を起こすこと自体がまだ辛いのかすぐ横になりたがっていたようだ。

この頃から、少しずつ僕の顔に表情が出始める。

同級生からのメールを聞いてニヤッと笑ったり、座ることを嫌がってイライラしたり。

個室に移ってからはテレビがあることも手伝ってか、外界の刺激に対する反応が顕著に見られるようになる。

加えて、おしっこの管や心電図モニターも外していただく。管を抜いた後も、しっかりおしっこは出ていた。しかし、尿意とともに管が入っていた刺激も感じるため、トイレに行きたくなると、ベッドの上でもぞもぞと暴れ出していた。

それでも、尿意が分かると自分でトイレに行こうと起き上がっていた。ただ、やはり起き上がると頭部の手術跡が痛み、苦しい。加えて、端座位が取れたとしても、歩行リハビリをしていない僕が自立でトイレに行けるとは到底思えない。

付き添う母に「一人ではまだ行けない」と止められるととうとう怒りが爆発し、ベッドの上で暴れていた。おかげで、お互い寝不足だった。

翌朝、六時二十分頃。トイレに行こうとベッドサイドに立っている姿を、母が発見する。

ベッド柵のない所から上手に出たようだった。その後、一人で下りる危険性を踏まえ、ベッドの位置を変更。

この頃から、感情が行動にも発現し始めていた。