YMO結成当初から細野は「イエロー・マジック・オーケストラ自体の大きなコンセプトが、アルバムごとに常に変わってゆくことを目指している1」と言っていたことを、そのまま実践したに過ぎない。
しかし、変化の振り幅がファンの想像をはるかに凌駕するものであった。
高橋は当時のことを後に語っている。
「当時教授とよく話していたのは、好きな音楽でやっていきたい、売れちゃうと好きじゃない音楽をやっているのかもしれないと言うことでした。
そこで敢えて、実験的なことをやりたいと思っちゃうんですよね。それがアルバム『BGM』になるわけなんですけれど2」
2度目のワールドツアーの後、凱旋公演を武道館で終え、年を越してすぐに『BGM』のレコーディングは始まった。
期間はわずか1ヶ月半。これは相当無理のあるスケジュールである。
このような過酷な状況の中で3人の関係性は悪化していく。
3人がスタジオに揃うことはなく、一人来ては作業をし、また別の一人が来ては作業をするという特異なレコーディングであった。
特に坂本の精神状態は非常に悪く、スタジオに来ることはあまりなかった。
高橋は当時「YMOの三角形が1回壊れちゃった感じはあるかもしれない3」と述べている。
実際、坂本も次のように語っている。
「2人に仕返しされたのが、『キュー』という曲。
(中略)細野さんと幸宏が、ぼく抜きで、2人で作ったんです。
でも、YMOの曲だから僕も参加しないわけにもいかなくて、ライブではドラムをやることになった。音には参加せず、リズムを叩くだけ。
(中略)僕は黙ってビートに徹しながら、これは完全に、2人の復讐なんだな、と思いました4」