やんちゃな女神様は、山のようにそびえる家具の上を目指す。
細い爪を引っ掛けて、どうにか登ったはいいが、降りられず。下でじっと見つめるヌシは、特に手伝うこともせず、結局、見かねた飼い主が助けにいくことになる。まだ手のひらに入ってしまうくらいのサイズなのに。子猫ってもう少し大人しくなかったっけ?
昨今のベビーフードは月齢に合わせて細かく分かれていて、気がつくと六か月過ぎたのに、まだ赤ちゃん食を食べさせていたり、長毛種用といっても、猫の種類でまた餌が違う。
バーマンの挿絵が可愛かったので、某メーカーのフードにしたら、月齢で挿絵が別の猫に変わった。あら?
バーマンはシャムとペルシャの真ん中みたいだから、餌もどっちだろう。それをヌシは文句も言わずに黙って食べている。出されたものは残さず食べるヌシだが、子猫が来てから、ちょっとだけ残すようになった。
理由は、ヌシが残した餌を子猫が食べるからだった。女神様が寄っていくと、シャーシャー言うくせに、女神様の姿が見えなくなると、うろうろと探している。ゼンマイ仕掛けのおもちゃのように、元気で跳ね回っていたかと思うと遊んでいるうちに寝てしまう。子猫の睡眠は長い。
その時間の隙間で飼い主は家事をし、ヌシは仮眠する。そのうち女神様はチャージも早くすぐに回復するようになった。
子猫は一気に人生の幼少期を駆け上がっていく。まどろむ朝の、目覚まし時計よりも正確に飼い主を起こしに来る女神様、爪で布団をひっかいたり、顔を舐めたり、いろいろな技を持つその仕草はヌシがやっていた起こし方だ。
いつの間にか受け継がれている。
一緒に駆けっこもしない老齢のヌシが、それでも一生懸命に追いかけて女神様の世話をしてくれたことに今さらながらに感謝する。
人と同じ景色を見て、人と同じように暮らしているのに人より先に歳をとっていく。ヌシは十八年も生きてくれて、わたしはその十八年間の後も生きるのだな、と思うと、より愛おしい。
ヌシはわたしが歩く後をついてくる。ヌシの後を小さい女神様がついてくる。テレビをつけると、ヌシも一緒にテレビを観る。女神様も一緒に観る。お風呂やトイレに入るとヌシはドアの外で待つ。女神様も待つ。
外出は玄関まで見送り、出迎えはちゃんと前足を揃えて待っている。夜は寒がりのヌシはわたしの腕枕で寝る。女神様はその横っちょで寝る。
いや、待てよ?
何かおかしい。
以前の記憶をたどってみる。いや、昔はそうではなかった。だってヌシはごはんの時以外はずっと寝てばかりじゃなかったか?
歳を重ねるにつれ、だんだん寝る時間が増えていった。春夏秋冬、四季の移り変わりでいつもまどろんでいたヌシ。人生というか猫生の終盤にさしかかり、残りの猫生はうっとりと外を眺めて日がな一日、わたしの帰りを寝て待っていたはずだ。
女神様が来て、当たり前のように後をついてくるけど、これは明らかに、女神様への教育だ! 自分が動いて教えている。ヌシの子守唄はいつもシャーだったけど、それは生きていく上で大切なシャーだった。