「うちの母が、ずいぶんお世話になりまして」

男性は、深々とお辞儀をした。

「はい?」

「あ、私、不知火の息子です。そういえば、初対面でしたね。もっとも、私は母からあなたのことを電話で毎日聞いていましたから、そんな気がしなくて」

そういえば、どこか顔の奥深いところが、不知火さんに似ている。

「いつも母が電話で、四階の人がよくしてくれて、と話していまして、以前、お友達にはお目にかかったものの、ちゃんと一度お礼に伺いたいと思っていたんです」

私は慌てて手を振り、この度はと呟いた。

「本当に、あっけなく逝ってしまいました。今年も、ここの上の階で、花火を見るんだとあんなに楽しみにしてたんですけどね」

息子さんがそう言って、廊下から見える空を仰いだ。もしかしたら、不知火さんは私の前の居住者の神代さんと仲が良くて、毎年花火を一緒に見ていたのかもしれない、息子さんの言葉の隙間で、ぼんやりと私は思った。

「今、母の部屋の荷物の搬出を終えたところです。もしよろしければ、もらっていただきたいものがあるんですが」

息子さんは黒くて長細いものを差し出した。

「これ、電動自転車の電池です。下に自転車があるんです。二年ほど前、母にねだられて購入した物です。

自分で買い物に行くんだって。でも、あの体で、自転車なんて乗れっこないんですよね。それでも、買い物に行きたい、あたしも自由に出回りたいんだって」

ばかですよね、うちの母。息子さんはつぶやいて、力なく笑った。不知火さんも、できることなら自分自身でいろんなことをしたかったんだ、そう思うと胸が苦しかった。

次回更新は3月8日(日)、11時の予定です。

 

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