朝起きると自転車でアパートを出て10分で南奥戸小学校に着き、事務室でお茶を飲みながら同僚の持参したおにぎりを分けてもらい朝食に。8時40分から始まる朝の職員会議に同席し9時から執務開始(といってもほぼ雑用だが)。
昼は生徒と同じ給食を食べ、12時15分から1時まで窓を黒いカーテンで覆った用務員室で緑のおばさんや用務員に交じって布団を敷いて昼寝。
1時から3時まで再び雑用的事務。3時を過ぎると授業を終えた教員たちがバレーボールの練習に誘いに来る。事務長を残して体育館で2時間みっちり練習。春はバレーボール、夏は水泳、秋はソフトボール、冬は卓球というようにローテーションしていた。
実働5時間で初任給10万円超のいいご身分(とはいえ家賃3万円、食費光熱水道費等3万円を差し引くといくらも残らない生活ではあったが)だった。おまけに夏休みは他の教職員同様約1か月半出勤もしない給料泥棒と言われてもおかしくない恵まれた毎日だった。
しかし相川は望んでその生活を続けていたわけではなく、大きな挫折を抱えて上京していた。名古屋市で生まれ、小中とトップクラスの成績だったが、名門進学校の県立高校に入ったころから母親の激しい過干渉に反発して勉強をしなくなり成績が激落ちして、国立大学を不合格となり、ようやく滑り止めの中央大学に入学して上京し親からの脱出に成功した。
かわいそうなのは妹だ。兄の抜けた後の母親の過干渉に耐えられず素行不良を重ね、遂に家出してしまった。その後所在はようとして分からない。