「つまり、バツイチかって事だね? ないよ。ずっと独りだ」
「そうなの……」
私は、この神矢敬という男の事が気になりだしていた。背が高くハンサムで、優秀で、それでいて気さくで明るくて、なぜ四十五歳まで独身なのか……いや、それどころか、さっき私が結婚する気はないと言うと、自分も同じだと言った。何か同じ空気を感じた。
時間がきて、私は『ココ』を出ようとしたが、神矢は、もうしばらくゆっくりするからと別れた。精算はやっておくからと、おごってもらった。
次の日も考える事なく『ココ』へ行った。同じように神矢が来ていて、いつものテーブルについた。コーヒーはコスタリカを注文した。
「コスタリカコーヒーを教えて下さって、ありがとうございます。とても美味しいです」
私はコスタリカコーヒーを本当に気に入ってしまった。
「良かった。そう言ってもらえて、うれしいよ。僕こそ、君みたいな女性とこうして昼下がりを一緒に過ごせて光栄だ。ありがとう。……今日は、モーツァルトの『交響曲 第四十番』だね。……マスター! これは誰の指揮かな?」
「カール・ベームです」と、カウンターの奥からマスターが答えた。
「そっか、カール・ベームか、悪くないけど。モーツァルトの四十番に限っては、僕はクーベリックが最高だと思うよ」
「クーベリック?」と、私は、彼の博識に驚いて聞き返した。
「うん。ラファエル・クーベリックだ。実に端正で素晴らしいよ。いつか聴かせてあげるよ」
「神矢さんは何でも知っていらっしゃるんですね」と、私は感心しながら言った。
「ジャーナリストだからね。一応なんにでも首を突っ込んでるだけさ」
「ご趣味は何ですか?」
「趣味というほどでもないが、油絵を描いている」
「油絵を? 何を描かれるんですか?」
「主に風景画だよ。でも、観るのはシャガールみたいな絵が好きだな。才能がないから描けないけれど」
「シャガール、私も好きです!」
「そう、君も何でも知ってるね」
「ただの好奇心からです。だから、どれも中途半端です」
「好奇心があるのは、いいことだよ。おっと、そうすると、僕につき合ってくれてるのも好奇心からかな?」