まとまらん、ヘリクツのまとめ

まとめる能力もなければ、まとまる内容でもございません。そもそも日々の日常は、まとまっちゃマズイとも思えますぞ。

みなさんは、どうかわかりませんが、アタシャ、毎日、毎日、何かに左右されて、右往左往して、悩んで苦しんで、やっとのことで乗り越えても、また次の日にゃ、「ああ、どうしよう、困ったなぁ……」と悩んでる。ま、そんな毎日が「生きてるうちは苦痛なんだ」と言われてることなのかも知れません。

ただ、アタシャ、思うのですが、その毎日こそが、知らんうちに、結果、「シアワセ」というものになり代わっていくんじゃないかとも思ってしまいます。

さてと、されど、何かを書かなきゃ、アタシの言ってることなど、あっち行ったり戻ったり、ゲヒン極まりないのもいっぱいだし、急に「静かな場所を歩く」などと、爺さんくさいことも出てくる。

しかして、「これはこうなんだ」という、誰が読んでもわかるような結末のところへ行きません。

アタシの生き方とか、思ってることは、時代遅れ甚だしいのも十二分にわかっておりますが、こっからヘリクツです、ヘリクツは得意ですぞ。「まわる」というのが好きな爺さんのヘリクツなんで、それが当たってるとかはございません。無理やり、自分の生き方をまとめようとしております。

昨今の世の中は、先へ先へ、前へ前へ、進め、進め、どんどん進め、どんどん幸福を求め続けよう……の大合唱みたいです。が、果たして、先を追いかけ続けることは、その行き着く場所は、幸福なのか? アタシャ、人の求める行き着く先は、「滅亡」のような気がしてなりません。

滅亡のために、努力し、滅亡のための進化をしているんじゃないかって、思えてしまうのです。

爪先立って、やっとやっと、やっとこさ、その到達点のゴールにたどり着き、幸福のボタン、幸福のスイッチに手が届いたら、実は……人類絶滅の核兵器のボタンだったりするように思えるのです。

一方、こちらは、どんどん取り残されていくばかり、どんどん追い越されて、後ろに後ろに行っちゃいます。時代遅れです。

けれど、この世が、まわるもの、めぐるもので、あったなら、陸上のトラック競技のような、周回遅れになったとき、ひょっとすると、トップになるのかも知れません。

周回遅れの選手=イワオ君を追い抜いたとき、先頭を走ってた選手は、「……あれ? オレって……何のために走ってきたんだろう?」って、思うかも知れません。「実は、周回遅れのスピードが、人が生きる本来のものかも知れん」と、思うかも知れません。

いや、そう、気づいてほしいのが、アタシの「21世紀のバイブル」などという、恐れ多い、目指したものでもあるのです。