児童虐待といえば、最近のことと多くの人は思うだろうが、僕は1960年生まれの現在65歳である。

僕が生まれた頃は、日本の経済成長が始まり、日本各地の田舎から都会へ人口の大移動が始まっていた。田舎は大家族が多く、親が虐待しても家族や親戚の誰かが助けに入っていたのではないか。近所付き合いも多く、誰かが被虐待児の面倒を見ていたのだろう。

それが都会となると、隣近所の目が行き届かなくなり、お互いに無関心になる。核家族化が進み、その小さな家族の中でなにが行なわれているのかは、誰も知らなくなる。虐待の密室化である。

そこで虐待を受けた人の少なくない割合が、その子どもを虐待し、その子がまた虐待をするようになる。虐待の連鎖である。それが大きく噴き出しているのが現在だ。

誤解を避けるために言うが、虐待する親を反面教師として、まともな親になっている人たちも大勢いる。虐待を受けたから我が子を虐待するとは、必ずしもいえないということは知っておいてほしい。

本書は、元々は心理カウンセリングの一環で、自己治癒力を高める私的目的で書かれたものだ。自分の経験に言葉を与えることで、物事を客観的に捉えるようにする作業である。

けれどもこれを公にしようと思ったのは、かつて親から虐待され、いまでもその傷が癒えずに苦しんでいる多くの人たちがいる現実を目の当たりにしたからだ。歴史と世間から無視されている存在である。適切な手当てを受けないままに日々を過ごしている人たちは、独りで苦しんでいる。でも、本当は独りではない、声を上げなければならない。

一方で、虐待されたとしても、それに気づかず、あるいは、それに気づいていても、親を擁護する人たちも多い。

自分の親を否定すれば、その親に育てられた自分の存在も否定せざるを得なくなるからだ。それではなんの解決にもならない。心身の不調を抱えてそのまま人生を終え、本当の自分になれずに死んでいく人もいる。これは、難しい言葉を使えば、自分らしく生きるという「自由意志」と「尊厳」の問題なのだ。

本書を読んで、僕の思い違いではないかと思ったり、噓をつくなと言ったりする人もいるだろう。しかし、僕がこの世に生を受けてからずっと、苦しんできたことは、誰にも否定できない事実である。専門家の診断や治療、心理カウンセリングを受けていることも、否定できない。

この本で、自分らしく生きるきっかけを作ってほしいと願っている。僕たちは、独りではないのだから。

 

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