人見絹枝(ひとみきぬえ)〈日本人初の女性オリンピック選手〉
1907(明治40)年―岡山県御津郡福浜村(岡山市)で生まれる。
1913(大正2)年―福浜村立福浜尋常高等小学校入学。
1914(大正3)年―第一次世界大戦。
1920(大正9)年―13歳。岡山県立岡山高等女学校入学。テニス(庭球)を習い始め、6kmを歩いて通学、体力・持久力がついた。
1921(大正10)年―12月、中国女子庭球(テニス)大会に参加。女子師範学校を破って優勝。1923(大正12)年―9月1日、関東大震災。10月、岡山県女子体育大会。走り幅跳び4m67cmの日本新記録(非公認)。
1924(大正13)年―3月、岡山高等女学校卒業。4月、東京の※1二階堂体操塾(日本女子体育大学)に入塾、寄宿舎に入る。10月、岡山県陸上競技大会。三段跳び10m33cmの世界新記録。
1925(大正14)年―3月、二階堂体操塾を卒業。4月、京都市立第一高等女学校に体操教師として赴任。7月、二階堂トクヨに説得され二階堂体操塾にもどる。まもなく、台湾総督から体育の実技を教えてほしいと要請があり、台湾に赴き、指導して帰国。
10月、陸上選手権大会・※2明治神宮競技大会近畿予選。三段跳び11m62cmの世界新記録達成。ちなみに大会の観客6万人。
※1 けやきのブログII〈2016年7月30日 女子体育の母、二階堂トクヨ(宮城県)〉
※2 明治神宮競技大会:大正13年から内務省主催で開かれ、天皇・皇族出席のもと昭和18年まで継続的に開催された。バレーボールは第一回から加わり学校を中心に競技人口を増やしていった。
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