林道の雪は次第に増していき、いよいよ足が取られるようになった。川田の前を行く鬼島は膝が埋まるくらいの雪をラッセル(深い雪をかき分けながら登る動作)しながら歩いているにもかかわらず、先頭を交替してくれと申し出る素振りもなかった。結局、鬼島は一度も先頭を交代することなく馬場島まで到達してしまった。

馬場島の指導センターには富山県警の山岳救助隊員たちが詰めていた。二人は指導センターの前にザックを置き、階段を上がった。鬼島がドアを開け、川田もあとから続くと、警備隊員が「こんにちは」と迎えてくれた。

「入山ですか」と、若い警備隊員が聞いた。鬼島はやかんの載った石油ストーブの脇をすり抜けながら「はい」と返事をし、警備隊員より前に事務机の脇に立った。

警備隊員は鬼島をよけながら事務机につくと、机上に置いてあった帳簿をパラパラとめくりながら「どちらに入られます?」と聞いた。「小窓尾根です。下山は早月尾根で」と、鬼島はめくられる帳簿を覗き込みながら答え、「まあ、たいしたところじゃあないです」と続けた。

冬の剱岳に入るのは初めての川田は、ストーブに手をかざしながらピクリと耳をそばだてた。

鬼島は、ヒマラヤの氷壁に単独で挑むほどのエキスパートで、冬の剱岳や黒部の山域にあっても、北方稜線ルートや、八ツ峰ルート、さらには鹿島槍ヶ岳から黒部の谷を越え、さらに剱岳とそれに続く稜線を超えて富山平野に至る黒部横断など、相当の猛者でなければ計画を立てる勇気も湧かないようなルートを制覇していた。

鬼島にしてみれば、上手くいけば五、六日で抜けられる小窓尾根などは、確かに取るに足りないだろう。でも、普通のクライマーからすれば、冬の小窓尾根はかなりの難易度だ。

帳簿には、富山県条例に基づき事前に提出された計画書を元に、年末年始に入山するパーティーの情報が整理されていた。鬼島と川田の山行計画も列記されており、警備隊員よりも先に鬼島が「それです」と帳簿を指差した。

「あ、はい、これね」と若い警備隊員は頷きながらその欄を指でなぞり、一番右端の空欄に入山日を記入して、引き出しから事前に郵送しておいた鬼島と川田の計画書を探し出し、内容を確認した。

「あ、もしかして、あなた、あの鬼島さん? エベレストの最難ルートの、南西壁を単独で登った」

と、その若い警備隊員が聞いた。

「ああ、そうですよ」

「そうですか! あなたが」

若い警備隊員はしげしげと鬼島の顔を眺めた。

次回更新は1月5日(月)、8時の予定です。

 

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