第五章 結婚
そんな祖母の変わりように私はなんて勝手なのだと憤慨した。
祖母だけではない。世間一般が思う女性の結婚適齢期というのは本当に短い。こんなことを言っている友人がいた。
「身体のこと考えると第一子は三十歳までに産まないとダメでしょう。それじゃあ最低でも二十八歳くらいまでには結婚するのが理想。付き合って最低三年は相手を見極めたい。そうなると二十五歳くらいにはもう運命の相手と出会ってないとダメなのよねー」
しかし、結婚は早くても納得してはもらえない。友人との会話でもハタチそこそこで結婚した同級生の話になると二言目には早すぎる、どうせ子供ができたのだろうと嘲笑した。
しかし二十五歳を過ぎたあたりから今度は早く結婚した者勝ちという風な妙な空気が流れ始めるのだ。
それにより、特定の相手がいないものは焦り始め、相手がいる者は嫌でも結婚を意識させられるのである。
私も、そういった周りの変化を受けてそろそろ結婚すべきなのかと思い始めた。確かに結婚願望はある。生き方の多様化が進む昨今でも、やはり年増の未婚女性に対して『負け組』や『行き遅れ』などと嘲笑する人は少なからずいる。私はそうはなりたくなかった。普通に結婚して、幸せになりたい。
『普通』。私はその言葉に悩まされてきた。
幼い頃から『変わってる』と言われ続けてきた私は、誰よりも常識的で、誰よりも普通であることに拘っていた。
『変わってる』と言われてしまうことに、心当たりはあった。協調性がなく、周りに合わせた行動を取ることがすごく苦手だったからだ。
そしてどうやら私は大多数とは違う視点で物事を見たり解釈したりしているようだった。多数派こそ正義と言う風潮の子供社会、日本社会では、他者と違った価値観を持っていた私には誰もついてきてくれず、浮いた存在となり『変わってる』と言われてしまっても仕方がないのだった。
しかし私はいつも強く思っていた。私が一番正しい。私こそが常識なのだと。だから『変わってる』と言われる度に、世間と自分の価値観の違いに気づかされ、私は傷ついてきた。
自分が生まれたこの世界が、自分を否定していると感じるのはあまりにも辛いことだった。それ故に学生時代はなぜ生まれてきたのか問うたり、死にたいとハギに連絡したこともあった。そんな私を見て彼はよくこう言った。
「君は世界に絶望している」
大人になって学校という小さな世界から社会の荒波に漕ぎ出すと、付き合う人間も選べるようになり私は多少生きやすくはなった。
それでも『普通』になりたい気持ちは相変わらずだった。今の恋愛ごっこも良いが、年相応に生きて周りから逸脱しないためには結婚しなければならない。
今はまだ若く既婚者の友人はほとんどいないが歳を取るにつれ周りが次々と結婚し、出産し、母になっていくのに、私はそれに遅れを取り『普通』じゃなくなるのは絶対に嫌なのだ。