ここまで原稿なしで、一気に低い声で、又関西訛りがある発音で、話したところ後方で聞いていた社員から「もう少し大きな声で話してください」と半分やじともとれる甲高い声がした。長谷川は一瞬、顎を少し上にあげて声のする方向を見上げる仕草をした。

側にいた塩見には声の主が誰であるかすぐに分かった。普段から元気いっぱいのマリン営業部の青木だった。

長谷川はその声に反応して少し顔を赤らめて「聞こえなかったらもっと前にきたらどうですか」と先ほどまでの話し声と異なる大きな声で応じた。

集団の前列に陣取っていた食品機器部の前澤は顔を赤らめて応じた長谷川の表情に注力した。その長谷川の表情は頭のてっぺんまで血管が浮き出ているように見えた。ほんの青木の一言で顔色を変えた長谷川は前澤には「どうして、何で」という受け止めだった。

瞬時にこんな些細なことであそこまで顔色を変えてまで反応する人間の心理状態を前澤なりに詮索してみた。多分、気の小さい温室育ちで、自分のペースを誰にも乱されたくない性格かと推測した。

さらに前澤が気が付いたことは話し始めてから一点を見つめた姿勢で左右に目を移す余裕すらなかった。長谷川が大きな声で反応した声を聞いて、先ほどの声の主の青木が「その声だったら聞こえます」と応じて、その場所から移動することはなかった。事務所内のざわつきが収まった。