「アラカルトで……そうだな。季節野菜のマリネと、魚介のフルーツテリーヌを」
「お飲物は?」
「僕は水割り。貴女は?」
「赤ワイン」

ボーイがさがり、二人は差し向かいでしばらく黙っていた。澄世はK先生の事を考えていた。沈黙に耐えかねて、和彦が言った。

「トップをきるなんて、凄いですね。それに素晴らしかったです」
「ありがとう。でもあの中で一番下手だからトップだったのよ」と、澄世は微笑んだ。笑うとえくぼができ、チャーミングで若く見えた。

「そんな事はないです。僕はクラシックの事はよく知らないが、貴女の演奏は素晴らしかった。皆もあんなに拍手してたじゃぁないですか!」と、いささかムキになって言った。

水割りと赤ワインが来て、澄世の目が乾杯を合図した。水割りと赤ワインなんて、ちょっと妙な取り合わせだと思ったが、和彦は気を取り直し、互いの杯を上げた。

「お名刺、頂けます? 私はこれです」と言って澄世が名刺を出した。和彦もあわててポケットから名刺入れを出し、二人は名刺交換をした。

「……和彦さん? M商事にお勤めなんて、ご立派ですわね」

澄世は年下の男に対し、わざと下の名前で親しげに呼んだ。

「いいえ、貴女こそ、いけばなさがみりゅうの講師なんて、凄いですね」
「ちがうの、さがごりゅうって読むの」
「あっ、すみません」
「ううぅん、知らない人は知らないわ。嵯峨御流って、華道界で唯一家元制じゃなくって、京都の嵯峨の門跡寺院大覚寺が本所で、嵯峨天皇様が始祖で由緒正しいのよ」

澄世は用意していた台詞のように説明した。

「たてみすみよさん?」
「そう、楯見澄世です」

料理が来て、和彦は澄世にも皿に取り分けてやった。和彦は、澄世の年齢を計りかねていた。既婚かどうかも気になったが、澄世の手には指輪が一切なかった。

四、五歳上のアラフォーってところか? この美貌だからバツイチかも?

京都大学法学部卒で、一流のM商事に勤めるエリートでハンサムな和彦は女にもてた。今は社内一の美人と噂される絵里と付き合っている。