黒木君

ガリガリー

ビッビィー

「バカヤロー」

富田はあわてて、車のハンドルを右に切った。接触しそうになった相手の車のドライバーが、こちらを見ていた。その顔は、黒木君の顔にそっくりだった。富田は、黒木君に助けられたのかもしれなかった。

その車が速度を落として路肩に停車したので、富田もその車に従った。その運転手は下車して自分の車の右のタイヤを調べていた。富田は駆け寄り謝った。前輪右タイヤのリムに少し疵(きず)が入っていた。

「お前、危ないじゃないか。大事故になるところだったぞ」

「申し訳ありません。少し居眠り運転をしました。タイヤの修理代を受け取ってください」

若い運転手は放免してくれた。国道一六号線の保土ヶ谷バイパスは、富田の通勤道路だった。自宅が横浜にあり、会社は相模原に所在するので、車で通勤していた。このバイパスは町田と狩場の間が無料になっていた。この日も会社の仕事が終わり、狩場に向かって八十キロメートルほどの速度で運転していた。

この日は非常に眠かった。先週の一週間はフランス旅行をして、今週の月曜日にはまだ時差ボケが治らず、ついウトウトした。フランス旅行の日程は忙しかったが、待望の世界遺産の見学が実現したのだ。

この旅行は十数名のグループ・ツアーだった。パリ市内では、シャンゼリゼ通りのカフェでホットワインを楽しんだ。翌日は、ゴッホの絵画で有名な「アルルの跳ね橋」を見学した。ゴッホが通ったカフェにも寄った。一八八八年頃だ。そしてついに世界遺産のモンサンミシェル修道院に着いたのだ。

「オウ、前方に砦が見えるぞ」

前方三キロメートルほど先にその修道院が見えた。夕日をバックに黄金色に輝き、道路が真直ぐに向かっていた。フランスの西海岸に、カトリックの巡礼地である修道院が建てられた。

その美しい修道院は、一九七九年に世界遺産に登録された。この金色に輝く修道院に向かって、何かに引っ張られるように車は加速した。修道院の後光が誰か手招きしているようにも見えた。

富田は建設機械の製造販売会社の経理部に所属していた。ここ十か月ほどは、「新車在庫管理システム」開発のプロジェクト・メンバーも兼務していた。

この会社は、油圧ショベルやブルドーザーの生産・販売をしていた。相模原の本社工場で月産五百台以上生産・出荷していた。新車は、本社工場―販売支社―販売店―顧客へと移動した。その移動や在庫や販売の記録をシステム化する開発チームだった。