「今でも良いよ!」と神父が怒ったワケは…
■老若男女を問わず、人間同士の愛
人間愛と恋愛とは、ニュアンスが異なりますが、あえて取り上げたいと思います。私がカトリック教会に行き出して間もない頃、お節介な信者さんから、「いつになったら、洗礼受けるの? 早くしなさい」と、会うたびに執拗に言われていたので、神父様にはやる気持ちで何度か志願してみました。
そんなある時、神父様は、感情的になり「そんなに受けたいなら、明日でも良いよ。今でも良いよ!」と、お怒りになり、果ては時期尚早とたしなめられました。それ以降、真夏の暑いさなかも、冬の雪のさなかも、雨の日も教会へ通い、教義を受け、時間がゆっくり過ぎていきました。今思えば、無償で教義を受けたひと時は、何と贅沢だったのか計り知れません。この恵みに、ひたすら感謝するばかりです。
そして四月の復活祭が訪れました。復活祭はキリスト教の場合、イエス様が受難の苦しみから蘇る儀式なので、盛大なミサが行われます。私はミサのさなか、聖霊(神様が心に従う生き方が出来るようにお与えになる力)が降り、大きなエネルギーを得た喜びを感じました。
それは、一生に一度の感動だったと思います。この日を迎える為に時間をかけて教義して頂いたのだと実感した時、初めて深い愛情を知りました。待つゆとりが、愛を育むのです。それは、恋愛とは異なりますが、信頼と言う人間愛です。