日本人は、それがどのような知識であっても、他の者が身につけていれば、自分がそれを身につけることができないと思われるのをひどく気にする。そしてこの点では、彼らは自分自身の能力をきわめて高く評価している。このことを示す面白い例が、今後両国(日本とイギリス)の外交文書に用いるべき言語について行われた討議の中にあった。一人の日本の代表が、「さよう、両国の間の外交文書は英語にすればよろしい。貴方がたが、日本語で公文書を書くことができるようになるまでには、どれほど長い期間がかかるかわからない。しかしわれわれに五年の歳月を与えるならば、われわれは貴方がたと英語で文通する能力を完璧に身につけるだろう」と言ったのである。⑥

また、第13代徳川家定の時代、長崎に設けられた海軍伝習場で日本の青年に教育を施したオランダ海軍二等尉官、リッダー・ホイセン・ファン・カッテンディーケの言葉には今日につながる工業の原動力がすでに見て取れます。

いったい、ヨーロッパ人とほとんど無交渉に暮らし、海軍の軍事に関する科学はまったく知らず、また軍人精神も彼らの風俗習慣とは全然違っていることを知らないような国民が、わずか四ヵ年の間に戦闘海軍を創設しようなどと望むのが、そもそも欲が深すぎると言える。しかし彼らがそればかりの短期間に、四隻の蒸気船をもって、何の支障もなく多大の効果を収めて自ら満足し、今後は外国人の助力を借らずとも、やっていけると思うまでに上達したのに対し、むしろ驚嘆せずにはいられない。⑦

これらの文献に目を通すと、日本の成功の要因が人材力にあったことに気づかされます。同時に現在の日本社会は、彼らの時代よりも人材をうまく育てられているのかという疑問が出てきます。