情報

人が
外側から受け入れる情報は
脂肪のような情報と
肉のような情報とに分かれている

脂肪のような情報は
余分なものを集めて塗り固めたようにひどく濁り
意志の光を通さない
つまり肉体における神経を持たないので
脂肪吸引手術のように
一気に吸い取られ忘れ去られても
特別な痛みはない

肉の情報は
神経が通っており
筋肉なり内臓なり
生きていく上で
何かしら不可欠なものになっていく

理想は
肉の情報のみを吸収していくことだが
それは不可能である

これだけ大きな社会の中で
これだけたくさんの情報の中に生きる不安定な生き物は
肉と内臓だけではもたない

それでは肉どうしのぶつかり合いのように
お互いを傷つけてしまう
だから人は 多少なりとも脂肪のような情報がなくては
安心して生きていけない

そして
最大の問題は
この肉と脂肪の区別が案外容易ではないこと

ここで自分はよく「重心」という観点を使った
自分がどういう分野でどういう風に生きたいかを
範囲や形としてイメージした時に
その範囲の中心的なところを歩んでいる時には
「重心」の上に自分はいるな
といった使い方をするものなのだが
その「重心」上から光を当てて
ちゃんと反射するかどうかをひとつの選定基準にするのだ

しかし
この「重心」自体がちょこまかと動くので
肉のつもりが脂肪を取り込んでいるようなことにもなるし
吸収した筈の肉がいつのまにか脂肪になっていることもある
なぜなら
肉や脂肪としての情報の間には皮膚がなく
相互に影響しあい絶えず変化していくものだから