【前回記事を読む】重症の夫ばかり優先するうち、小学2年生の長男に異変が――弟の世話や私への労いで、父親代わりをしてくれた長男。その負担は…
第一部 私と家族と車イス
優先順位
夫が、手術後3日目で人口呼吸器が外れ、まず生命維持を自力で確保できるようになった変化はとても嬉しかった。
オムツ姿は、一生変わらなくても、手術後7日目に排液ドレーンが無くなりスピーチカニューレになり、いつのタイミングで本人に完全麻痺だと説明をしていくか話し合いをしていた。
手術後8日目に経管栄養が試され、おいしいねと笑っている夫が目の前にいた。
夫のはじめてのリハビリのための理学療法士は、夫の旧友だった。こんな再会はあるだろうか。
痛みに耐えながら堕ちきっているかもしれない精神状態で、理学療法士とコミュニケーションを図ろうと昔の話をしている姿を見て、言葉では表現し難いものがあった。患者と理学療法士……。彼の目の前に立っているのは、友人である。
長男も私もその光景が違和感しかなかった。指導計画に沿ってリハビリを指導と行う関係性……。
花が咲く話は、子どもは何歳?、元気だった?、今なんの仕事をしている?と質問されたり幼少期の話をしたり……。知り合いが沢山いる院内。不本意な再会ではあるが久々の再会。
集中治療室で、もはや気を遣う同窓会だ。私の先輩がいたり、彼の旧友がいたからこそ、助かることに誰かしら夫に目を向けながら初対面の医療従事者とも交代で医療支援してくれている。
知り合いや同世代の方々が全身管理をしていることへの抵抗を抱いている中、入院への不安を軽減してくれたことには、本当に本当に感謝している。
子どもたちとともにできうる数少ないことを愛でながら生きている私たち家族……。
もう歩けてもいいのにとか長男が大好きな肩車ができなくなってしまったとか手をギュッと握り返してくれなくなったとか負の感情だけで夫に対して嘆くより、何より今どうすべきかを毎日毎日目の前の一瞬を考えるようにと誓った。
神にすがるのではなく、受け入れ難い気持ちと共存し、受け止めながら現実を生きると決意した。
子どもたちが一番何が起きてるかわかっていなかったのに、三男のことを歩けるようになればいいねと話す長男や次男にどれほど支えてもらったか。そしてどれだけかけがえのない子どもたちに荷物を背負わせたか。
入院中に三男が歩き出すところを間近で見られるだけでも幸せだと噛み締めたひととき。頑張ってないのは私だと感じてようやく何してるんだろうと、一気に思考が変わった。